発心集 ====== 第五第5話(52) 不動持者、牛に生まるる事 ====== ===== 校訂本文 ===== 近く、山((比叡山))の西塔(さいたふ)の西谷(にしだに)に、南尾といふ所に、極楽房の阿闍梨といふ人ありけり。かの住みける坊の、南尾にとりて、北尾といふ方(かた)を見やりて、上り下る道、隠れなく見ゆる所にてなむありける。 この阿闍梨、念誦うちして、脇息に寄りかかりて、ちとまどろみたる夢に、北尾よりゆゆしげに痩せ枯(が)れたる牛に、物おほせて登る人あり。牛の舌を垂れて登りかねたるを、髪赤く縮みあがりたる小童の、眼(まなこ)いとかしこげなるがつきて、後(しり)になり、前(さき)になり、走りめぐりて、これを押し上げ、助けつつ登るあり。あやしく、ただ人とも思えず、「童、あな何者ならん」と思ふほどに、そばに人ありて言ふやう、「あれは、『生々に加護の誓ひをたがへじ』とてなり」と言ふと見て驚きぬ。 うつつに見やれば、見えつるやうに少しもたがはず。かの牛、物を負ひて登るありつるに、赤頭(あかがしら)の童は見えず。 これを思ふに、この牛の先の世に、不動の持者にてありけるにこそ。因果のことはり、限りあれば、業によりて、畜生となりにけると、なほ捨てがたくて、かく後前(しりさき)に立ちつつ助け給ふにこそ。 いといみじう、あはれに貴く思えければ、「小法師、物に米入れて、ちと持ちてこよ」と言ひ捨て、走り向ひて、牛をしばし留(とど)めて、食ひ物をなむ与へりける。 仏の御誓ひのむなしからぬこと、かくのごとし。「世々生々に値遇し奉らん」と願ふべし。 ===== 翻刻 ===== 不動持者生牛事/n13l 近ク山ノ西塔ノ西谷ニ南尾ト云所ニ極楽房ノ阿 闍梨ト云人アリケリ。彼住ケル坊ノ南尾ニトリテ。北 尾ト云カタヲ見ヤリテ昇リ下ル道カクレ無ク見ユル 処ニテナム有ケル。此阿闍梨念誦打シテ脇息ニヨリ カカリテ。チトマドロミタル夢ニ北尾ヨリユユシゲニヤセ ガレタル牛ニ物オホセテノボル人アリ。牛ノ舌ヲタレテ 昇カネタルヲ髪赤クチヂミアガリタル小童ノ眼イト カシコゲナルガツキテ後ニナリ前ニナリ走リメグリテ 是ヲ押アゲタスケツツ昇ルアリ。アヤシクタダ人トモ 覚ヘズ童アナ何物ナラント思程ニソバニ人有テ云様ア/n14r レハ生々而加護ノ誓ヲタガヘジトテナリト云ト見テ 驚ヌ。ウツツニ見ヤレバ見ヘツル様ニスコシモタガハズ。カノ 牛物ヲオヒテノボルアリツルニ赤ガシラノ童ハ見ヘス。 是ヲ思フニ此牛ノ先ノ世ニ不動ノ持者ニテ有ケル ニコソ。因果ノコトハリ限アレバ業ニヨリテ畜生トナ リニケルト猶ステガタクテカク後前ニ立ツツ助ケ 給フニコソ。イトイミジウ哀ニタウトク覚ヘケレバ。 小法師物ニコメイレテチト持テコヨト云捨テ走リ 向テ牛ヲシバシ留テ食物ヲナムアタヘリケル。仏 ノ御誓ノムナシカラヌ事如此世々生々ニ値遇シ/n14l 奉ラントネガフベシ/n15r