[[index.html|一言芳談抄]] 巻之上 ====== 40 又云はく近来の遁世の人といふは・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[ndl_ichigon039|<>]] 又云はく((敬仏房の言葉。[[ndl_ichigon036]]参照。))、「近来(このごろ)の遁世(とんせい)の人といふは、髻(もとどり)切りはつれば、いみじき学生(がくしやう)・説経師(せつきやうじ)となり、高野に登りつれば、めでたき真言師、ゆゆしき釈論(しやくろん)の学生になり、あるひは、もとは仮名のし文字だにもはかばかしく書きまげぬものなれども、梵・漢さる体に書きならひなどしあひたるなり。然而(しかうして)、生死界(しやうじかい)を厭ふ心も深く、後世の勤めをいそがはしくするやうなることは、きはめてありがたきなりや。はや髻など切りけん時は、『さりとも、この心をばよもおこしたえじ』と覚ゆるやうなるを、我執(がしう)・名聞(みやうもん)甚しき心をさへ、おこしあひたるなり。 某(それがし)が遁世(とんせい)したりしころまでは、『なほ世を遁るるやうには、有るをだにもこそ捨つれ、無きを求むることはうたてしきことなり』と、習ひあひたりしあひだ、『世間出世につけて、今生(こんじやう)の芸能ともなり、生死(しやうじ)の余執(よしふ)ともなりて、つひに後世のあだとなりぬべきは、近くも遠くも、とてもかくても、あひかまへてせじ』とこそ、好み習ひしか。されば、大原・高野にも、そのひさびさありしかども、声明(しやうみやう)一つも、梵字一つも習はでやみにしなり」と云々。「ただ、とてもかくても過ぎ習ひたるが、後世のためにはよきなり」。 [[ndl_ichigon039|<>]] ===== 翻刻 ===== 又云近来(このころ)の遁世(とんせい)の人といふは。もとどりきりはつれ ば。いみじき学生(がくしやう)説経師(せつきやうし)となり。高野(かうや)にのほり つれば。めでたき真言師(しんごんし)。ゆゆしき尺論(しやくろん)の。学生(がくしょう)に なり。或(あるひ)はもとは。仮名(かな)のし。文字(もじ)だにもはかはかしくかき まけぬものなれとも。梵漢(ぼんかん)さるていに書(かき)ならひ などしあひたるなり。然而(しかうして)生死界(しやうじかい)を厭(いとふ)心もふかく 。後世のつとめをいそがはしくする様(やう)なる事は。きはめ てありかたき也や。はやもとどりなときりけん時(とき)は。さ りとも。此心をばよもおこしたえしとおぼゆる/ndl1-10l https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2583390/1/10 様なるを。我執(がしう)。名聞(みやうもん)甚(はなはだ)しき心をさへおこし あひたる也。某(それがし)が。遁世(とんせい)したりし比(ころ)までは猶(なを)世(よ)を のがるる様(やう)にはあるをだにもこそすつれなきを もとむる事(こと)はうたてしき事なりと。ならひあひ たりしあひだ。世間(せけん)出世(しゆつせ)につけて。今生(こんじやう)の藝能(けいのう)と もなり。生死(しやうじ)の餘執(よしう)とも成て。つゐに後世(ごせ) のあたとなりぬべきは。ちかくもとをくも。とても かくても。あひかまへてせしとこそ。このみならひしが ざれば大原(はら)高野(かうや)にも。其久(そのひさび)さありしかども声明(しやうみやう)/ndl1-11r 一も。梵字一もならはで。やみにしなりと云々ただ。と てもかくても。すきならひたるが。後世のためには よきなり/ndl1-11l https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2583390/1/11