今物語 ====== 第23話 松殿の思はせ給ひける女房かれがれになり給ひて後・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 松殿((藤原基房))の思はせ給ひける女房、かれがれになり給ひて後、はかなき御情けだにも稀(まれ)なりければ、我ながら、あらぬかとのみ頼り侘び、人の心の花にまかせて、月日をむなしく移りゆくに、宮の鶯、百囀(ももさへづり)すれども、思ひあれば、聞くことをやめつ。梁(うつばり)の燕(つばくらめ)、並び住めども、身を知れば妬まず。遅々たる春の日も、一人住めば、いとど暮れやらず。蕭々(せうせう)たる秋の夜は、むなしき床に、明かしがたく過ぐしけるに、事のよすがやありけむ、迎へに御車を遣はされたりける。 夢うつつとも分きかね、辛し嬉しとも思ひ定めず。さればとて、今更待ち喜び顔ならんも、いたうつれなく、身ながらも、なかなか疎(うと)ましかりぬべければ、「これにこそ、日ごろの尽きせぬ((底本「つきとぬ」。諸本により訂正。))歎きも表さめ」と思ひ強りて、丈(たけ)に余りたりける髪を押し切りて、白き薄様に包みて、   今更に再び物を思へとやいつも変らぬ同じ憂き身に と書き付けて、御車に入れて参らせたりける。 この人は、後にはみそ野の尼とて、近くまでも聞こえしとかや。 ===== 翻刻 ===== 松殿のおもはせ給ひける女房かれかれになり給ひて後は/s15l かなき御なさけたにもまれなりけれは我なからあらぬかと のみたよりわひ人の心の花にまかせて月日をむなしく うつりゆくに宮のうくひす百さえつりすれともおもひ あれはきく事をやめつうつはりのつはくらめならひ すめとも身をしれはねたますちちたる春の日もひとり すめはいととくれやらすせうせうたる秋の夜はむなしき床 にあかしかたくすくしけるに事のよすかやありけむ むかへに御車をつかはされたりける夢うつつともわきかね つらしうれしともおもひさためすされはとていまさらまち よろこひかほならんもいたうつれなく身なからも中々 うとましかりぬへけれはこれにこそ日ころのつきとぬ なけきもあらはさめとおもひつよりてたけにあまり たりけるかみををしきりてしろきうすやうにつつみて/s16r いまさらにふたたひ物をおもへとやいつもかはらぬ同しうき身に と書つけて御車にいれてまいらせたりけるこの人は 後にはみそ野のあまとてちかくまてもきこえしとかや/s16l