十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の17 太秦なる所にしかるべき女房の色好むありと聞きて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 「太秦(うづまさ)なる所に、しかるべき女房の色好むあり」と聞きて、上の男ども、長月のころ、月の明かかりける夜、あまた尋ね行きたりけるに、いとものさびたる家の簀子(すのこ)の下に、遣水の音たえだえ聞こえて、折しもうちしぐれたる空の気色、むら雲立ちて、いとあはれなるに、「忘るる間なく」など口すさみて、中門の廊めかしき所に、おのおのたたずみ、寄り居などしたるほどに、薫なのめならず香りて、御簾の内より艶(えん)なる声にて、 岸柳秋風遠塞情 とながめたりけり。 人々、「なかなかなることもぞ、言ひ懸けらるる。やくなし」とて、何となきさまにて、帰りにけり。 いかにおくゆかしかりけむ。 ===== 翻刻 ===== ウツマサナル所ニ、可然女房ノ色コノム有ト聞テ、上 ノ男トモ長月ノ頃月ノアカカリケル夜、アマタ尋ネ 行タリケルニ、イト物サヒタル家ノスノコノ下ニ、遣水 ノ音タエタエ聞エテ、オリシモウチ時雨タル空ノ 気色村雲タチテイト哀ナルニ、忘ルルマナクナト 口スサミテ、中門ノ廊メカシキ所ニ、各タタスミヨリ 居ナトシタル程ニ、薫ナノメナラスカホリテ、御スノ ウチヨリエンナル声ニテ、岸柳秋風遠塞情ト/k40 ナカメタリケリ、人々中々ナル事モソ云懸ルルヤ クナシトテ、何トナキサマニテ帰ニケリ、イカニ奥ユ カシカリケム、/k41