十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の29 すべて人の振舞ひはおもらかに言葉少なにて人をも馴らさず・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== すべて人の振舞ひは、おもらかに言葉少なにて、人をも馴らさず、人にも馴らされず、笑(ゑ)を笑はず、戯れ好まず、ととろかに、おとなしく振舞ひて居たれば、心の中は知らず、よきものかなと見えて、人にも恥ぢられ、所をも置かるるなり。 かかれど、これはなつかしく、思はしきかたにはあらず。ただ、乱るべき所には乱れ、折にしたがひて戯れをもし、をかしき事も笑ひ、人の名残をも惜しみ、友にしたがふ心ありて、わりなく思はれぬるには、徳多かりとぞ、古き人、多く定められける。 また、人は用意深くて、出仕の時など、心おくれなきをよしとす。公事につけて、失礼をもし、たたうちある振舞ひにも越度(をちど)の出できつるは、口惜しきことなり。 昔、御形の宣旨(みあれのせんじ)・本院侍従といふ二人は、宮仕人の中には、ならびなきをかしき女房どもなりけり。そのころ、兵衛佐貞文((平貞文))、御子の孫子にて、品(しな)もいやしからず、形もめやすし、声けはひ、物いひなどのをかしきこと、人にすぐれたりけり。在中・平中とて、つがひて世のすきものといはれけるが、この侍従を年ごろ、しめしめと懸想(けしやう)しけれども、つれなかりけり。 ある時は、たまたま出で合ひたりけれども、えもいはず、すかしをきて、身ははひ隠れなどして、すべて聞かさりけるに、貞文、心憂く思えて、せめて思ひうとみぬべき便りを、やうやうに案じ廻らして、ありがたきことにて思ひよりたりけれども、いと深く用意して、つひに心劣りせられず、いやまさりに思えけるとなん。 色を好むといふは、かやうの振舞ひなり。平中といふは中将にはあらず。兄弟三人ありけるが、中にあたるゆゑなり。 ===== 翻刻 ===== リケルコソオカシケレ、スヘテ人ノ振舞ハオモラカニ 詞スクナニテ、人ヲモナラサス、人ニモナラサレスヱヲワ ラハス戯コノマス、トトロカニオトナシク振舞テ居タ レハ、心ノ中ハ知スヨキモノカナトミエテ、人ニモハチラレ/k61 所ヲモヲカルルナリ、カカレト是ハナツカシク思ハシキ 方ニハ非ス、タタ乱ヘキ所ニハミタレ、折ニシタカヒテ戯 ヲモシ、オカシキ事モ咲ヒ、人ノナコリヲモ惜ミ、友ニ シタカフ心有テ、ワリナク思ハレヌルニハ、徳多カリト ソ、フルキ人多ク定ラレケル、又人ハ用意深クテ、出仕ノ 時ナト心ヲクレナキヲヨシトス、公事ニツケテ失礼 ヲモシ、タタウチアル振舞ニモ越度ノ出キツルハ口惜 キ事也、 昔ミアレノ宣旨本院侍従ト云二人ハ宮仕人ノ中ニ ハ双ナキオカシキ女房共ナリケリ、其頃兵衛佐貞文/k62 御子ノ孫子ニテ、シナモイヤシカラス、形モメヤスシ、コエケ ハヒ物イヒナトノオカシキ事、人ニ勝レタリケリ在中 平中トテツカヒテ世ノスキモノト云レケルカ、此侍従 ヲ年来シメシメトケシヤウシケレトモ、ツレナカリケリ、 或時ハタマタマ出合タリケレトモ、エモイハススカシヲキ テ、身ハハヒカクレナトシテ、スヘテ聞サリケルニ、貞文 心ウク覚テ、セメテ思ヒウトミヌヘキ便ヲ、ヤウヤウニ案 シ廻シテ、有カタキ事ニテ思ヨリタリケレトモ、イ ト深ク用意シテ、遂ニ心ヲトリセラレスイヤマサリ ニ覚ケルトナン色ヲコノムト云ハ、カヤウノ振舞也、/k63 平中ト云ハ中将ニハ非ス、兄弟三人有ケルカ中ニア タル故也/k64