[[index.html|唐鏡]] 第一 伏羲氏より殷の時にいたる
====== 15 殷 帝太戊 ======
===== 校訂本文 =====
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第九の主をば、帝太戊(たいぼ)((底本表記「大戊」))と申しき。湯五代の孫、帝太庚の御子なり。
この御時、皇居に桑の木、穀((底本「かち」と読み仮名。))の木、にはかに生ひたり。一夜を経てつまあはせのほどになれり。帝おぢて伊陟(いちよく)といふ臣に問はせ給ふに、伊陟が申さく、「妖((「妖」は底本「禾」に「夏」か。『史記』により妖と訂正。))は徳に勝たず。帝の政それ欠けたることあれば、ただ((「ただ」は底本「かたた」。「か」の衍字と見て削除した。))徳をおさめ給へ」と申すに、帝、これに従ひ給ふゆゑに、桑穀、枯れがれてすたれぬ。
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===== 翻刻 =====
第九の主をは帝大戊と申き湯五代の孫帝太庚(カウ)の御子なり
この御時皇居に桑(クワ)の木穀(カチ)の木俄に生たり一夜をへてつまあ
はせのほとになれり帝をぢて伊陟(イチヨク)といふ臣にとはせ給
に伊陟か申さく〓は徳にかたす帝の政それかけたることあ
れはかたた徳ををさめ給へと申すに帝これにしたかひ給ゆへ
に桑穀(カチ)枯かれてすたれぬ/s22l・m43
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/22