[[index.html|唐鏡]] 第三 漢高祖より景帝にいたる ====== 17 漢 孝景帝(2 景帝と梁の孝王) ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami3-17|<>]] 後二年、四月に詔してのたまはく、「雕文刻鏤(てうぶんこくろう)は農事をやぶるものなり。錦繍纂組(きんしゅうさんそ)は女工((女紅))を害するものなり。農事やぶるるは、飢ゑの本なり。女工害あるは、寒の源なり。朕はみづから耕(たが)へすべし。后はみづから桑採りて宗廟に奉ずべし」となり。また、「農(なりわひ)は天下の本なり。黄金珠玉をば、飢ゑても食らふべからず、寒しても着るべからず」とものたまへり。 帝((景帝・劉啓))の御弟に、梁の孝王((劉武))と申す親王おはしましき。御同母なり。帝、孝王と母后((竇皇后))の御もとにて酒宴の有に、帝とのたまはく、「千秋万歳の後(のち)には、朕の位を伝へむ」と。竇嬰(とうえい)といふ者、その座にありていはく、「高祖((劉邦))の約束は、子ののちをば次第に嫡孫つたへよとこそありしか。何ゆゑに、その約をそむきて、弟(おとと)に伝へむとのたまふぞ」と。 母后、これを聞きて、「口惜し」と思して、折ごとには、「かまへて孝王を位につけばや」と、帝に申させ給ふ。帝、人々に問ひなどして、「ゆゆしき天下の大事にてありけれども、人々いかが」など申しければ、つひに伝へ給はず。 かく申す人々をば、孝王憤(いきどほ)りて、忍びやかに殺させてけり。帝、「孝王のしわざにや」と疑ひて尋ね給ふに、果たして、「しかなり」と。やがて使(つかひ)をつかはして、「いかにかくは」と責められければ、孝王怖ぢて、母后に申して、「あやまちにけり」と申させ給ひければ、帝、おろおろ御腹(おんはら)癒(い)にけり。 その後、孝王、梁国より京(みやこ)へまはりたるに、「母后の御病(やまひ)などにも、看病をもせむとて、京へ侍らむ」と申さるるに、帝、腹黒き心を疑ひて、「さらでありなん」と仰せられければ、心ゆかずながら、梁国へ帰り給ひぬ。やすき心なくして、ついに病(やまひ)つきて失せ給ひぬ。母后、これを聞き給ひて、こともなのめならず歎きわび給ふ。 この孝王、梁国の宮室、山水の地形、たぐひなきほどなり。今の世にて、親王の御居所(ゐどころ)を、梁園・竹園・兎園など申すは、このおこりなるべし。 後三年の帝、未央宮(びあうきゆう)にして崩じ給ひぬ。御歳四十八、在位十六年なり。 [[m_karakagami3-16|<>]] ===== 翻刻 ===== 自殺(サツ)しつ後二年四月に詔してのたまはく雕文(テウフン) 刻鏤(コクロウ)は農事(ノフシ)をやふるもの也錦繍纂組(キムシウサンソ)は女工(ヂヨコウ)を害/s90r・m164 するもの也農事やふるるは飢(ウヱ)の本也女工害あるは 寒の源なり朕(チム)はみつから耕(タカヘ)すへし后はみつか ら桑とりて宗廟に奉すへしとなり又農(ナリハヒ)は 天下の本也黄金珠玉をは飢てもくらふへから す寒してもきるへからすとも(イナシ)のたまへり帝の御 弟に梁の孝王と申す親王おはしましき御同母 なり御かと孝王と母后の御もとにて酒宴の有 に御かと宣く千秋万歳ののちには朕の位をつたへ むと竇嬰(トウエイ)と云もの其座に有ていはく高祖の約 束は子ののちをは次第に嫡孫つたへよとこそあり/s90l・m165 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/90 しかなにゆへにその約をそむきて弟(オトト)につたへむと 宣ふそと母后是をききてくちをしとおほして おりことにはかまへて孝王を位につけはやと御かと に申させ給御かと人々にとひなとして由々敷 天下の大事にてありけれとも人々いかかなと 申けれは遂につたへ給はすかく申人々をは孝王い きとをりてしのひやかにころさせてけり御かと 孝王のしわさにやとうたかひてたつね給ふに はたしてしかなりとやかてつかひをつかはし ていかにかくはとせめられけれは孝王おちて/s91r・m166 母后に申てあやまちにけりと申させ給けれは みかとおろおろ御はらゐにけりそののち孝王梁 国よりみやこへまはりたるに母后の御やまひ なとにも看病をもせむとてみやこへ侍らむと 申さるるにみかとはらくろきこころをうたかひ てさらて(イコソ)ありなんとおほせられけれはこころ ゆかすなから梁国へかへり給ぬやすき心なくして ついにやまひつきてうせ給ぬ母后これをききたま ひてこともなのめならすなけきわひ給ふこの孝 王梁国の宮室山水の地形たくひなきほと也いまの/s91l・m167 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/91 世にて親王の御ゐところを梁園(エン)竹園兎(ト)園なと 申はこのおこりなるへし 後三年のみかと未央(ヒヤウ)宮にして崩給ぬ御歳四十八 在位十六年なり/s92r・m168 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/92