[[index.html|唐鏡]] 第五 後漢光武より献帝にいたる ====== 1 後漢 光武帝(1 昆陽の戦いなど) ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami4-21|<>]] 次の国をば後漢と号し、第一の帝王をば光武((光武帝・劉秀))と申しき。高祖((劉邦))九世の御孫なり。諱(いみな)は秀、字(あざな)は文叔なり。 御身、長(たけ)((底本「タキ」と読み仮名。))七尺三寸、髯(ひげ)眉うるはしく、大口隆準(たいかうりゆうじゆん)((「隆準」は底本「隆隼」。読み仮名は底本によるが、正しくは「りゆうせつ」。))にして日角の相おはします。生まれ給ひし時、赤光(せきくわう)室(しつ)に満てり。今年、一茎の嘉禾(かくわ)に九つの穂ありき。このゑにぞ御名をば秀とは申しける。 宛人(えんひと)李通(りとう)など申す者、図讖(としん)((底本「リンシム」と読み仮名。))をもて光武に申しけるは、「劉氏また起こつて、李氏輔(たす)けたるべし((底本「輔」に「タスケ/フ」と読み仮名。))」。共に謀(はかりごと)を定めて、兵を起こして、宛に起こる。時に御年二十八なり。始めは牛に乗り給ひしが、新野の尉を殺して、その馬にぞ乗り給ひける。 更始元年二月に劉聖公((更始帝・劉玄))、天子となりて、光武を太常偏将軍となし奉る。王莽、王尋・王邑といふ親しき者どもを将軍として、兵百万、甲士四十二万をして、穎川(えいせん)に至らしむ。 時に長人(ちやうじん)巨無覇((巨毋霸。[[m_karakagami4-20]]参照。))といふ者あり。長(たけ)一丈大きさ十囲なるを塁尉とし((底本「とし」なし。底本の異本注記により補う。))、もろもろの猛き獣、虎豹犀象(こへうさいしやう)のたぐひをかりて、武威を助けしむ。軍(いくさ)の法、昔よりかかるためしはなきことなり。 この時、城の中にわづかに八・九千人ばかりぞありける。光武、城を出でて兵をおさめ給ふ。王莽が軍((底本「軍」なし。底本の異本注記により補う。))城下に出でたる勢十万ばかりなり。囲むこと数十重、城中をにらみのぞみ、旗幟(きし)野を蔽(かく)し、埃塵(あいぢん)天に連なり、鉦鼓(せいこ)の声数百里に聞こゆ。積弩(せきど)乱発して、矢の下ること雨のごとし。城の中を負ひて水を汲む。この時、夜、流星ありて、営中に堕つる。昼、雲気ありて崩るる山のごとし。吏士(りし)みな厭伏(えんふく)せり。 六月に光武みづから歩騎千余を率ゐて進む。大軍をおこさること四・五里ばかりに陣をひく。尋邑((王尋と王邑))、兵数千もて合戦す。光武首(かうべ)を切れること数千級、首一つを切れば爵(しやく)一級を賜ふ。このゆゑに、首を斬れること数千級といふなり。諸部(しよほう)喜びていはく、「劉将軍、小敵を見てはつたなきに、今大敵を見て勇めり。はなはだ怪しぶべし」と言ふ。 光武、また進む。尋邑が兵、退(しりぞ)きぬ。また首を斬れること数千級、諸将しきりに勝つことを得て、胆気(たんき)ますます盛りにして、一もて百に当たらずといふことなし。 光武、敢死(かんし)の者三千人と、城の西の水上より入りて、遂に王尋を殺しつ。城の中、鼓譟き((底本「鼓譟」に「ツツミウチサワキ」と読み仮名。))震(ふる)ひ呼ばふ声、天地を動かす。走る者は、のぼり踏みて百余里の間に走り倒ふる。 この時、大雷((底本、「雷」に「イカツチ」と注。))鳴り、風吹きて、雨の降(くだ)ること、注ぐがごとくなりしかば、河水さかりに出でて、士卒争ひおもむきて、溺れ死ぬ者((底本「者」なし。底本の異本注記により補う。))万面((底本「面」に「ヲモテ」と注。))数ふ。水も流れぬほどなり。 王邑、厳尤(しやういう)((荘尤。明帝の諱を避けて厳尤と表記される。))ら、軽騎して死人に乗りて水を渡りて逃げ去りぬ。その軍の車甲珍宝((底本「車甲」に「キヨカフ」と読み仮名。))を得たること数知らず。 光武、破虜大將軍((底本「肢虜大将軍」。「肢虜」に「ハリヨ」と読み仮名。後漢書により訂正。))となる。武信侯に封ぜらる。この時に老吏、あるいは涙をたれて申さく、「はからざりき。今日また漢官の威儀を見る」と言ふ。これより識者((底本「識」に「シヨク」と読み仮名。))みな心を属(つ)く。 かかるほどに、趙の繆王の子林((劉林))といふ人、偽りて卜者(ぼくしや)王郎を成帝((劉驁))の子といひて、天子として邯鄲(かんたん)に都す。光武、南に駕(が)して城邑(じやういふ)((底本「セイイウ」と読み仮名))に入り給はず。官属(かんぞく)みな乏(とも)しくなりぬ。日夜に行き給ひて、霜雪をおかす。 この時、天、はなはだ寒くして、面みな割れ裂けぬ。南に馳せて、乎他河(こたが)((滹沱河))といふ所に至り給ふに、河水流澌(りうし)して船なけれは渡るべからずとて、官属大きに怖づ。 光武、王覇といふをして見せ給ふに、王覇偽りて申さく、「氷固くして渡りぬべし」と申すによりて、進みて河に至るに、氷固く合ひて過ぎ給ひぬ。数騎いまだ渡り果てざるに、氷溶けぬ。 光武、王覇に語りてのたまはく、「わが衆渡ること得て、まぬがれたるは、何ぢが力なり」。王覇しきりに謝し申す。 [[m_karakagami4-21|<>]] ===== 翻刻 ===== 唐鏡第五  後漢光武より献帝にいたる 次の国をは後漢と号し第一帝王をは光武と申き 高祖(カウソ)九世(セイ)の御孫なり諱は秀(シウ)字は文叔なり御身 長(タキ)七尺三寸髯(ヒケ)眉(マユ)うるはしく大口(タイコウ)隆隼(リウシユム)にして日角 の相おはしますむまれ給し時赤光(セキクワウ)室(シツ)にみてり 今年一茎(カウ)の嘉禾(カクワ)に九の穂ありきこのゆへにそ 御名をは秀(シウ)とは申ける宛人(ヱムヒト)李通(リトウ)なと申もの圖(リム) 讖(シム)をもて光武に申けるは劉氏又起(ヲコ)て李氏(リシ)輔(タスケ/フ)たる へし共にはかりことをさためて兵を起(ヲコ)して宛(ヱム)に/s126l・m223 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100182414/126?ln=ja おこる時に御年廿八なりはしめは牛にのり給しか 新野の尉(ヰ)をころしてその馬にそのり給ける 更始元年二月に劉聖公天子となりて光武を太常(タイシヤウ) 偏将軍(ヘンシヤウクン)となしたてまつる王莽(ワウマウ)王尋(シン)王邑(イフ)といふしたしき ものともを将軍として兵百万甲士四十二万をして 穎川(エイセン)にいたらしむ時に長人(チヤウシン)巨無霸といふものあり長 一丈大さ十囲(シウヰ)なるを塁尉(ルイヰ)(トシイ)もろもろのたけき獣虎豹(コヘウ) 犀象(サイシヤウ)のたくひをかりて武威(フヰ)をたすけしむ軍の 法むかしよりかかるためしはなきことなりこの時城の 中にわつかに八九千人はかりそありける光武城を/s127r・m224 いてて兵をおさめ給ふ王莽か(軍イ)城下にいてたる勢十万 はかりなり囲(カコム)こと数十重城中をにらみのそみ旗幟(キシ) 野を蔽(カク)し埃塵(アイチム)天に連なり鉦鼓(セイコ)の声数百里に きこゆ積弩(セキド)乱発(ラムハツ)して矢の下ること雨の如し城 の中戸を負て水を汲むこの時夜流星ありて 営中(エイチウ)に堕(オツル)る昼雲気(ウンキ)ありてくつるる山のことし 吏士(リシ)みな厭伏(エンフク)せり六月に光武みつから歩(前イ)騎(ホキ)千餘を ひきゐてすすむ大軍(タイクン)をおこさる事四五里はかり に陣(チン)をひく尋邑(シンイフ)兵数千もて合戦す光武首(カウヘ)を きれること数千級首一をきれは爵(シヤク)一級をたまふこの/s127l・m225 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100182414/127?ln=ja ゆへに首をきれること数千級といふ也諸部(シヨホウ)よろこひ ていはく劉将軍(リウシヤウクン)小敵(セフテキ)を見てはつたなきに今大敵 を見ていさめりはなはたあやしふへしといふ光武 又すすむ尋(シン)邑か兵しりそきぬ又首をきれること 数千級諸将しきりにかつことを得て胆気(タンキ)ますます さかりにして一もて百にあたらすといふことなし光武 敢死(カンシ)のもの三千人と城の西の水上よりいりて遂に王 尋(シン)をころしつ城の中鼓譟(ツツミウチサワキ)き震(フル)ひ呼(ヨハ)ふ声天地を動(ウコカ) すはしるものはのほりふみて百餘里の間にはしり たふるこの時大雷(イカツチ)なり風ふきて雨のくたること注(サル)カ/s128r・m226 ことくなりしかは河水さかりにいてて士卒あらそひ おもむきて溺(ヲホレ)死ぬ(者イ)万面(ヲモテ)かそふ水もなかれぬほとなり 王邑(ワウイウ)厳尤(セウイウ)等軽(ケイ)騎して死人に乗て水をわたりて にけさりぬその軍の車甲(キヨカフ)珎宝を得たることかすし らす光武肢虜(ハリヨ)大将軍となる武信侯(フシンコウ)に封せらるこ の時に老吏(ラウリ)或は涙をたれて申さくはからさりき 今日又漢官(クワン)の威儀(ヰキ)を見といふこれより識(シヨク)者みな心 を属(ツク)くかかるほとに趙(テウ)の繆王の子林(リン)といふ人いつはりて 卜者(ホクシヤ)王郎(ワウラウ)を成帝の子といひて天子として 邯鄲(カンタン)に都(ト)す光武南に駕(カ)して城邑(セイイウ)に入給はす官属/s128l・m227 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100182414/128?ln=ja みな乏(トモ)しくなりぬ日夜にゆき給て霜雪をおかす この時天はなはた寒して面みなわれさけぬ南にはせて 乎他河(コタカ)といふところにいたり給ふに河水流澌(リウシ)して船 なけれはわたるへからすとて官属大にをつ光武王覇(ワウハ)と いふをしてみせ給ふに王覇いつはりて申さく氷かた くしてわたりぬへしと申すによりてすすみて河 にいたるに氷かたく合てすき給ぬ数騎いまたわたり はてさるに氷とけぬ光武王覇にかたりてのたま はくわか衆わたること得てまぬかれたるはなんちか ちからなり王覇しきりに謝申す/s129r・m228 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100182414/129?ln=ja