撰集抄 ====== 巻6第1話(49) 渡天(玄奘 真如等) ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、玄奘三蔵、仏法を広め給はんがため、天竺へ渡り給ひて、広く百三十国((「百三十国」は底本「百斉国」。諸本により訂正。))に遊行して、あまねく聖跡を拝み給ひけるに、祇園精舎はむなしく礎のみ残り、白鷺池には水絶えて草深く、退凡下乗の卒都婆は傾(かたぶ)きて、文字・切り口すみかれて、その跡見えざりければ、流砂((ゴビ砂漠))・葱嶺((パミール高原))の嶮難をしのぎ、はるばる渡りましませるかひもなく、「唐土(もろこし)にて、遠く思ひやりたりしには似ず」となむのたまひて、かつは仏法の末(すゑ)になりぬることを歎き、かつは釈尊在世の古(いにしへ)に会はざることを悲しみて、墨染の袂をしぼりかね給ひにきと、ほの伝へ聞くに、理(ことはり)と思え、多く涙を落しき。 六義の風俗をもてあそぶたぐひは、この道を好む輩を友として、離れむことを思ひて、七日をかぎる花の色、あへなき風にさそはるるわざなんどをだにも、もだへこがるるわざなるぞかし。 それに、「仏法を伝へん」とて、そこばくの煩ひを見、命を捨て、渡天し給へるに、鷲の御山((霊鷲山))は風激しくて、ほがらかに照せる月の影もなく、跋提河は岸さびて、澄める気色もなく、御法(みのり)説かせをはしましし所々も、虎狼野干の住処(すみか)となりしありさま、さこそ悲しくおぼされけめ。雲をしき、風を友にせる聖人もいませねば、いよいよ昔のみ恋ひしく思え給へりとなん。 しかあれども、仏((釈迦))の生れ、また法説き給へる国なれば、かへすがへすゆかしく侍り。「常在霊山」と説かれて侍れば、かたじけなくぞ侍る。 されば、この大和の国、奈良の御門の太子、長岡親王とていませしは、すべらきのまうけの君にておはせしが、憂きことにあはせ給ひ((底本「給ひ」なし。諸本により補入。))てのち、御飾りおろさせ給ひて、道詮律師の室に入りて、真如親王と申しけるは、智恵・徳行並びなくて、三論宗をもてあそび給ふのみならず、宗叡僧都の禅林寺の閑庵に閉ぢ籠りては、鹿谷園の水に見思の垢をすすぎ、修円大徳の伝法院にやすみしては、覚智一心の悟りを開き、弘法大師((空海))にしたがひては、真言宗を極め給へり。 かかる有智高僧の人々も、なほ飽き足らずやおぼしけん。唐土に渡り給へりけるが、「これには明師もなし」とて、天竺へ渡り給へり。唐土の帝、渡天の志をあはれみて、さまざまの宝を与へ給へりけるに、「それ、よしなし」とて、みなみな返し参らせて、「道の用意」とて、大柑子を三つとどめ給へりけるぞ、聞くもかなしく侍るめる。 さても、宗叡は帰朝すれども、ともなひ給へる親王は見え給はねば、唐土へ生き死にを尋ね給へりける返事に、「渡天とて、師子州にて、むらがれる虎の遭ひて、食ひ奉らむとしけるに、『わが身を惜しむにはあらず。われはこれ仏法のうつはものなり。あやまつ事なかれ』とて、錫杖にてあはくりけれど、つひに、情なく食ひ((「食ひ」は底本「くゐ」。「ゐ」に「い」と傍書。)))奉りつと、ほのかになん聞こゆ」と侍りければ、御門をはじめ参らせて、百官(もものつかさ)、みな袂をしぼりけり。 この親王も、さすが天竺を心にくく思ひ給ひけるなんめり。あにはかりきや、錦のしとねを出でて、飾りをおろすべしとは。かけても思はましや、他国におどろが下に骨をさらすべしとは。これ、世の中の、さだめなく、はかなきためしなるべし。 しづかに目をふさぎ、往時を思へば、渺茫として夢にたがはぬ世なれば、悦びも歎きも、みなむなし。ひそかに((「ひそかに(窃)」は底本「窮」。諸本により訂正))指を折りて古人を数ふれば、賢きもさりぬ、愚かなるもとどまらず。ただ、むなしき名のみ残すことのあはれさ。 海漫々として、雲の波、煙の波、いと深き所に三の神山あり。「不死の薬、多くあり」とて、方士をして年々に薬を取りにつかはしし、秦皇・漢武も昔語りになり、周の穆王の、八駿の駒に鞭打ちて、一世界を駆けりし、今いづれの所にかある。 今日暮れ、明日過ぎて、年月を送るほどに、荒原に日にさらされし骨も朽ち失せて、絶えせぬ名のみ残せり。 ===== 翻刻 =====   撰集抄第六 昔玄奘三蔵仏法をひろめ給はんか為天竺へ渡 給て広く百斉国に遊行して普く聖跡を 拝み給けるに祇薗精舎はむなしく礎のみ 残白鷺池には水たえて草ふかく退凡下 乗の卒都婆はかたふきて文字きりくち すみかれて其跡みえさりけれは流砂葱 嶺の嶮難をしのきはるはる渡ましませる 甲斐もなくもろこしにて遠く思ひやりたりし には似すとなむの給て且は仏法のすゑに/k149r なりぬる事を歎且は釈尊在世の古にあわさ る事を悲てすみ染の袂をしほりかね 給にきとほの伝聞に理と覚多涙をおとし き六義の風俗を翫ふたくひは此道をこの む輩を友としてはなれむ事を思て七日をか きる花の色あへなき風にさそはるるわさなんと をたにももたへこかるるわさなるそかしそ れに仏法をつたへんとてそこはくの煩を見 命を捨てとてんし給へるに鷲の御山は 風はけしくて朗にてらせる月の影もなく/k150r 跋提河は岸さひてすめる気色もなくみのりと かせをはしましし所々も虎狼野干のすみ かとなりし有様さこそ悲くおほされけめ 雲をしき風を友にせる聖人もいませねは弥 昔のみ恋しく覚給へりとなんしかあれ共 仏の生れ又法説給へる国なれは返々ゆ かしく侍り常在霊山と説れて侍れは忝そ 侍るされは此やまとの国奈良の御門の太子長 岡親王とていませしはすへらきの儲君に てをはせしか浮事にあはせて後御かさりお/k150l ろさせ給て道詮律師の室に入て真如 親王と申けるは智恵徳行ならひなくて 三論宗をもてあそひ給のみならす宗叡僧 都の禅林寺の閑庵に閉籠ては鹿谷薗 の水に見思の垢をすすき修円大徳の伝法院 にやすみしては覚智一心の悟を開き弘法 大師に随ては真言宗を極め給へりかかる有 智高僧の人々もなをあきたらすやおほし けんもろこしに渡給へりけるか是には 明師もなしとて天竺へ渡給へりもろこし/k151r の御門渡天のこころさしを哀てさまさまの 宝をあたへ給へりけるにそれよしなし とてみなみな返しまいらせて道の用 意とて大柑子を三ととめ給へりけるそ 聞もかなしく侍めるさても宗叡は帰 朝すれとも友なひ給へる親王は見え給はね はもろこしへいきしにを尋給へりける 返事に渡天とて師子州にて村かれる 虎の遭てくひ奉らむとしけるに我身を 惜にはあらす我は是仏法のうつはもの也/k151l あやまつ事なかれとて錫杖にてあはくり けれとつゐに情なくくゐ(い)奉つと側になん 聞ゆと侍りけれは御門をはしめまいらせてももの つかさ皆袂をしほりけり此親王もさすか 天竺を心にくく思ひ給ひけるなんめりあにはかり きやにしきのしとねを出てかさりをおろ すへしとはかけても思はましや他国におと ろか下に骨をさらすへしとは是世中の 定なくはかなきためしなるへししつかに 目をふさき往時をおもへは眇忙として/k152r 夢にたかはぬ世なれは悦もなけきもみな 空し窮ゆひを折て古人をかそふれは 賢もさりぬ愚なるもととまらすたた空し き名のみ残す事のあはれさ海漫々として 雲の浪煙のなみいとふかき所に三の神山 あり不死の薬おほくありとて方士をして 年々に薬をとりにつかはしし秦皇漢 武もむかし語になり周穆王の八駿の駒に むち打て一世界をかけりし今何れの所に かある今日暮明日過て年月を送る程に/k152l 荒原に日にさらされし骨もくちうせて たえせぬ名のみ残せり/k153r