[[index.html|土佐日記]]
====== 2月6日 不明〜難波〜川尻 ======
===== 校訂本文 =====
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六日、澪標(みをつくし)のもとより出でて、難波(なには)に着きて、川尻((淀川河口))に入る。みな人々、嫗(おむな)・翁(おきな)、額に手を当てて喜ぶこと二つなし。かの船酔(ふなゑ)ひの淡路の島の大御(おほいご)((淡路の専女。[[se_tosa35|1月26日]]参照。))、「都近くなりぬ」といふを喜びて、船底より頭(かしら)をもたげて、かくぞ言へる、
いつしかといぶせかりつる難波潟(なにはがた)葦漕ぎそけて御船(みふね)来にけり
いと思ひのほかなる人の言へれば、人々あやしがる。これが中に、心地悩む船君((紀貫之))、いたくめでて、「船酔(ゑ)ひし給(たう)べりし御顔(みかほ)には似ずもあるかな」と言ひける。
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===== 翻刻 =====
六日みをつくしのもとよりいてて
なにはにつきてかはしりにいる
みなひとひとおむなおきなひたひ
にてをあててよろこふことふた/kd-43r
つなしかのふなゑひのあはちのし
まのおほいこみやこちかくなりぬと
いふをよろこひてふなそこよりかし
らをもたけてかくそいへる
いつしかといふせかりつるなにはかた
あしこきそけてみふねきにけ
りいとおもひのほかなる人のいへれ
はひとひとあやしかるこれかなかに
ここちなやむふなきみいたくめてて
ふなゑひしたうへりしみかほには/kd-43l
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100421552/43?ln=ja
にすもあるかなといひける/kd-44r
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100421552/44?ln=ja