[[index.html|土佐日記]] ====== 2月9日 鳥飼〜渚の院〜鵜殿 ====== ===== 校訂本文 ===== [[se_tosa47|<>]] 九日、心もとなさに明けぬから船を曳きつつ上れども、川の水無ければ、ゐさりにのみぞゐざる。 この間に、曲(わだ)の泊(とまり)の分(あ)かれのところといふ所あり。米(よね)・魚(いを)など乞へば行なひつ。 かくて、船曳き上るに、渚の院((惟喬親王の別荘。))といふ所を見つつ行く。その院、昔を思ひやりて見れば、おもしろかりける所なり。しりへなる丘には、松の木どもあり。中の庭には、梅の花咲けり。ここに人々のいはく、「これ、昔、名高く聞こえたる所なり」。「故惟高(これたか)の親王(みこ)の御供(おほんとも)に、故在原業平の中将の、   世の中にたつて桜の咲かざらば春の心はのどけからまし といふ歌詠める所なりけり」。 今、今日ある人、ところに((「今日ある人、ところに」は底本「けふあるひとこころに」。))似たる歌詠めり。   千代(ちよ)経たる松にはあれどいにしへの声の寒さはかはらざりけり また、ある人の詠める、   君恋ひて世をふる宿の梅の花昔の香(か)にぞなほ匂ひける と言ひつつぞ、都の近付くを喜びつつ上(のぼ)る。 かく上る人々との中に、京より下りし時に、みな人、子どもなかりき。至れりし国にてぞ、子生めるものども、ありあへる。人みな船のとまる所に子を抱(いだ)きつつ降り乗りす。 これを見て、昔の子の母、悲しきにたへずして   なかりしもありつつ帰る人の子をありしもなくて来るが悲しさ と言ひてぞ泣きける。父もこれを聞きて、いかがあらむ。かうやうのことも、歌も、好むとてあるにもあらざるべし。唐土(もろこし)もここも、思ふことにたへぬ時のわざとか。 今宵、鵜殿(うどの)といふ所に泊まる。 [[se_tosa47|<>]] ===== 翻刻 ===== 九日こころもとなさにあけぬ からふねをひきつつのほれとも かはのみつなけれはゐさりに/kd-45l https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100421552/45?ln=ja のみそゐさるこのあひたにわたの とまりのあかれのところといふところ ありよねいをなとこへはおこなひつ かくてふねひきのほるになきさの 院といふところをみつつゆくその 院むかしをおもひやりて みれはおもしろかりけるところ なりしりへなるをかにはまつ のきともありなかのにはには/kd-46r むめのはなさけりここにひとひと のいはくこれむかしなたかくきこ へたるところなり故これたかのみこ のおほんともに故ありはらのなりひら の中将のよのなかにたつてさくら のさかさらははるのこころはのと けからましといふうたよめるところ なりけりいまけふあるひとこころに にたるうたよめり ちよへたるまつ/kd-46l https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100421552/46?ln=ja にはあれといにしへのこゑのさむさ はかはらさりけりまたあるひとの よめる きみこひてよをふるやとの むめのはなむかしのかにそなほ にほひけるといひつつそみやこ のちかつくをよろこひつつのほる かくのほるひとひとのなかに京 よりくたりしときにみなひと子 ともなかりきいたれりしくにに/kd-47r てそ子うめるものともありあへる ひとみなふねのとまるところにこを いたきつつおりのりすこれをみてむか しのこのははかなしきにたへす して なかりしもありつつかへる ひとのこをありしもなくてくる かかなしさといひてそなき けるちちもこれをききていかかあらむ かうやうのこともうたもこのむとて/kd-47l https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100421552/47?ln=ja あるにもあらさるへしもろ こしもここもおもふことにたへぬ ときのわさとかこよひうとのといふ ところにとまる/kd-48r https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100421552/48?ln=ja