とはずがたり ====== 巻1 32 神の利益もさしあたりてははしなきほどに思え侍しが・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-31|<>]] 神の利益(りやう)もさしあたりては、はしなきほどに思え侍しが、師走には、常は神事何かとて、御所ざまはなべて御暇(ひま)なきころなり。 私(わたくし)にも、「年の暮れは何となく行ひをも」など、思ひて居たるに、あひなく言ひ慣らはしたる師走の月をしるべに、また思ひ立ちて、夜もすがら語らふほどに、「やもめ烏のうかれ声など思ふほどに、明け過ぎぬるもはしたなし((『遊仙窟』「可憎病鵲半夜驚人」))」とて、とどまりゐ給ふも、そら恐しき心地ながら、向ひゐたるに文あり((後深草院の文))。いつよりもむつまじき御言の葉多くて、   「むば玉の夢にぞ見つる小夜衣(さよごろも)あらぬ袂(たもと)を重ねけりとは 定かに見つる夢もがな」とあるも、いとあさましく、「何をいかに見給ふらん」と、おぼつかなくも思ゆれども、思ひ入顔にも、何とかは申すべき。   一人のみ片敷きかぬる袂には月の光ぞ宿り重ぬる われながらつれなく思えしかども、申しまぎらかし侍りぬ。 今日はのどかにうち向ひたれば、さすが里の者どもも、女のかぎりは知り果てぬれども、「かく」など言ふべきならねば、思ひむせびて過ぎ行くにこそ。 さても、今宵、塗り骨に松を蒔きたる扇(あふぎ)に、銀(しろかね)の油壺を入れて、この人((雪の曙・西園寺実兼))の賜ぶを、人に隠して懐(ふところ)に入れぬと夢に見て、うちおどろきたれば、暁の鐘聞こゆ。「いと思ひかけぬ夢をも見つるかな」と思ひてゐたるに、そばなる人、同じさまに見たるよしを語るこそ、「いかなるべきことにか」と不思議なれ。 [[towazu1-31|<>]] ===== 翻刻 ===== の人に身をいたして見せしことそ神のりやうもさし あたりてははしなき程におほえ侍しかしはすにはつねは 神事なにかとて御所さまはなへて御ひまなきころ なりわたくしにもとしのくれはなにとなくをこなひをも なと思ひてゐたるにあひなくいひならはしたるしはすの 月をしるへに又思ひたちて夜もすからかたらふほとにやも めからすのうかれこゑなとおもふ程にあけすきぬるもはし/s42r k1-74 たなしとてととまりゐ給もそらおそろしき心地なから むかひゐたるに文ありいつよりもむつましき御ことの葉おほくて  むは玉の夢にそみつるさ夜衣あらぬ袂をかさねけりとは さたかにみつるゆめもかなとあるもいとあさましくなにを いかに見給らんとおほつかなくもおほゆれとも思入かほにも なにとかは申へき  ひとりのみかたしきかぬる袂には月の光そやとりかさぬる 我なからつれなくおほえしかとも申まきらかし侍ぬ今日は のとかにうちむかひたれはさすかさとの物ともも女のか きりはしりはてぬれともかくなといふへきならねはおもひ むせひてすき行にこそさてもこよひぬりほねに松を/s42l k1-75 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/42 まきたるあふきにしろかねのあふらつほを入てこの人のたふ を人にかくしてふところにいれぬと夢にみてうちおとろき たれは暁のかねきこゆいと思かけぬ夢をもみつるかなと 思てゐたるにそはなる人おなしさまに見たるよしをかたるこそ いかなるへき事にかとふしきなれとしかへりぬれはいつしか/s43r k1-76 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/43 [[towazu1-31|<>]]