とはずがたり ====== 巻5 6 とかくするほどに霜月の末になりにけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu5-05|<>]] とかくするほどに霜月の末になりにけり。京への船の便宜(びんぎ)あるも、何となく嬉しくて、行くほどに、波風悪(あ)しく、雪・霰(あられ)しげくて、船も行きやらず、肝をのみつぶすもあぢきなくて、備後の国といふ所を尋ぬるに、ここにとどまりたる岸よりほど近く聞けば、下り。 船のうちなりし女房(([[towazu5-04|5-4]]参照。))、書き付けて賜びたりし所を尋ぬるに、ほど近く尋ねあひたり。何となく嬉しくて、二・三日経るほどに、主(あるじ)がありさまを見れば、日ごとに男・女を四・五人具し持て来て、うちさいなむありさま、目も当てられず。「こはいかに」と思ふほどに、鷹狩とかやとて、鳥ども多く殺し集む。狩(かり)とて、獣(しし)持て来るめり。おほかた悪業深重(あくごふじんぢゆう)なるべし((「べし」は底本「ふし」。節・武士・らしなどと読む説もある))。 鎌倉にある親しき者とて、広沢の与三(よざう)入道((広沢行実))といふ者、熊野参りのついでに下るとて、家の中騒ぎ、村郡(むらこほり)の営みなり。絹障子を張り、絵を描きたがりし時に、何と思ひ分くこともなく、「絵の具だにあらば描きなまし」と申したりしかば、「鞆(とも)といふ所にあり」とて、取りに走らかす。よに悔しけれども力なし。 持て来たれば描きぬ。喜びて、「今はこれに落ちとどまり給へ」などいふも、をかしく聞くほどに、この入道とかや来たり。おほかた何とかなどもてなすに、障子の絵を見て、「田舎にあるべしとも覚えぬ筆なり。いかなる人の描きたるぞ」と言ふに、「これにおはしますなり」と言へば、「さだめて歌など詠み給ふらん。修行のならひ、さこそあれ。見参(げさむ)に入らん」など言ふもむつかしくて、熊野参りと聞けば、「のどかに、このたびの下向に」など、言ひまぎらかして立ちぬ。 このついでに、女房二・三人来たり。江田といふ所に、この主(あるじ)の兄のあるが、女(むすめ)よすが((「よすが」は底本「よする」。))などありとて、「あなたざまをも御覧ぜよ。絵の美しき」など言へば、この住まひもあまりにむつかしく、「都へは、この雪にかなはじ」と言へば、「年の内もありぬべくや」とて、何なく行きたるに、この和知の主、思ふにも過ぎて腹立ちて((「腹立ちて」は底本「はしたちて」。))、「わが年ごろの下人を逃したりつるを、厳島にて見付けてあるを、また江田へかどはれたるなり。うち殺さむ」などひしめく。 「とは何事ぞ」と思へども、ものおぼえぬ者は、「さる中夭(ちうえう)にもこそあれ。なはたらきそ」など言ふ。この江田といふ所は、若き娘どもあまたありて、情けあるさまなれば、「何となく心とどまるまではなけれども、さきの住まひよりは心延ぶる心地するに、いかなることぞ」と、いとあさましきに、熊野参りしつる入道、帰さにまた下りたり。これに、かかる不思議ありて、わが下人を取られたるよし、わが兄を訴(うた)へけり((「訴へけり」は底本「こたへけり」。))。 この入道は、これらが叔父ながら、所の地頭とかやいふ者なり。「とは何事ぞ。心得ぬ下人沙汰かな。いかなる人ぞ。物参りなどすることは常のことなり。都にいかなる人にておはすらん。恥づかしく、かやうに情けなく言ふらんことよ」など言ふと聞くほどに、これへまた下るとてひしめく。この主、ことのやう言ひて、「はしなき物参り人ゆゑに、兄弟(おととい)仲違ひぬ」と言ふを聞きて、「いと不思議なることなり」と言ひて、「備中(びちゆう)の国へ人を付けて送れ」など言ふもありがたければ、見参(げさん)して、ことのやう語れば、「能(のう)はあだなる方もありけり。御能ゆゑに、欲しく思ひ参らせて、申しけるにこそ」と言ひて、連歌し、続歌(つぎうた)など詠みて遊ぶほどに、よくよく見れば、鎌倉にて飯沼の左衛門((平資宗・飯沼資宗。[[towazu4-13|4-13]]参照。))が連歌にありし者なり。そのこと言ひ出だして、ことさらあさましがりなどして、井田といふ所へ帰りぬ。雪いと降りて、竹簀垣(たかすがき)といふものしたる所のさまも習はぬ心地して、   世を厭ふ習ひながらも竹簀垣憂き節々は冬ぞ悲しき [[towazu5-05|<>]] ===== 翻刻 ===== たてまつるもつみふかき心ならむかしとかくするほとにしも 月のすゑに成にけり京へのふねのひんきあるも何となく/s213l k5-11 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/213 うれしくてゆくほとに波風あしく雪あられしけくて 船もゆきやらすきもをのみつふすもあちきなくてひん この国といふ所をたつぬるにここにととまりたるきしより 程近くきけはをりぬふねのうちなりし女房かきつけて たひたりし所をたつぬるにほと近く尋あひたり何と なくうれしくて二三日ふるほとにあるしかありさまを みれは日ことにおとこ女を四五人くしもてきてうちさいなむあ りさまめもあてられすこはいかにとおもふ程に鷹狩と かやとて鳥ともおほくころしあつむかりとてししもてくる めりおほかた悪業しんちうなるふしかまくらにあるしたしき ものとてひろさはのよさう入道といふものくまのまいりの/s214r k5-12 つゐてにくたるとて家の中さはきむらこほりのいとなみ なりきぬ障子をはりて絵をかきたかりし時になにと おもひわくこともなく絵の具たにあらはかきなましと申 たりしかはともといふところにありとてとりにはしらかすよに くやしけれとも力なし持てきたれはかきぬよろこひて いまはこれにおちととまり給へなといふもおかしくきく ほとにこの入道とかやきたり大かた何とかなともてなすに 障子の絵をみてゐ中にあるへしともおほえぬふてなり いかなる人のかきたるそといふにこれにおはしますなりと いへはさためて歌なとよみ給ふらんしゆ行のならひさこそ あれけさむにいらんなといふもむつかしくてくまのまいり/s214l k5-13 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/214 ときけはのとかにこのたひのけかうになといひまきらかし てたちぬこのつゐてに女房二三人きたりゑたといふ所に 此あるしのあにのあるかむすめよするなとありとて あなたさまをも御らんせよ絵のうつくしきなといへはこのす まひもあまりにむつかしくみやこへはこの雪にかなはしと いへはとしのうちもありぬへくやとて何となく行たるに このわちのあるし思ふにもすきてはしたちて我としころ の下人をにかしたりつるをいつくしまにてみつけてある を又ゑたへかとはれたるなりうちころさむなとひしめくとは なにことそとおもへとも物おほえぬものはさるちうようにも こそあれなはたらきそなといふこのゑたといふ所はわかき/s215r k5-14 むすめともあまたありてなさけあるさまなれは何となく 心ととまるまてはなけれともさきのすまひよりは心のふる 心ちするにいかなることそといとあさましきにくまのまいり しつる入道かへさに又くたりたりこれにかかるふしきありて 我下人をとられたるよしわかあにをこたへけり此入道は これらかおちなから所のちとうとかやいふものなりとはなに ことそ心えぬ下人さたかないかなる人そ物まいりなとする ことはつねの事なりみやこにいかなる人にておはすらんはつ かしくかやうになさけなくいふらんことよなといふときくほとに これへ又くたるとてひしめくこのあるしことのやういひてはし なき物まいり人ゆへにおとといなかたかひぬといふをききて/s216l k5-15 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/215 いとふしきなることなりといひてひちうの国へ人をつけ てをくれなといふもありかたけれはけさんしてことのやう かたれはのうはあたなるかたもありけり御のうゆへに ほしくおもひまいらせて申けるにこそといひて連歌し 続哥なとよみてあそふほとによくよくみれはかまくらにて いいぬまの左衛門かれんかにありしものなりその事いひ いたしてことさらあさましかりなとしてゐたといふ所へ帰り ぬ雪いとふりてたかすかきといふ物したる所のさまもなら はぬ心ちして    世をいとふならひなからもたかすかきうきふしふしはふゆそかなしき/s216r k5-16 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/216 [[towazu5-05|<>]]