十訓抄 第五 朋友を撰ぶべき事
卓王孫が娘に、卓文君と聞し人、家富みければ、もてなし、ありさま、ことなりける上、姿、人にすぐれたりけり。眉は遠山をうつし、胸は玉かとぞ見えける。
時に、司馬相如といひける男、身は貧なりけれども才に富めり。琴をもよく弾きけり。文君、これにめでて、かの男にあひにけるを、父母、いさむれども聞き入れず。
相如が貧家に行きて世を渡るあひだ、父、文君がゆくえを知らざりけるほどに、相如、つひに世に仕へて文園令となりて、いみじかりければ、父、娘の咎(とが)をゆるしてけり。
これまた数寄の道なれば、一筋に定めがたし。
惟喬親王「聴弾琴詩」にいはく、
相如昔挑文君得
莫使簾中子細聴
ある文にいはく、「妻は斉なり」。いふ心は、上一人より下庶人にいたるまで、夫の心に等しきがゆゑなり。その心、もし背く時は、家亡ぶといへり。
されば、妻夫の中は、悪しきことをばともにいさめ、吉(よ)きことをば互ひに勧めて、この世には家を納むる徳を乱さず、後世には道を勧むる善知識なるべし。
十三卓王孫ガ娘ニ卓文君ト聞シ人、家冨ケレハモテナ シアリサマコトナリケル上姿人ニスクレタリケリ、 眉ハ遠山ヲウツシ胸ハ玉カトソミエケル、時ニ司馬 相如ト云ケル男、身ハ貧ナリケレトモ才ニトメリ、琴 ヲモヨクヒキケリ、文君是ニメテテ彼男ニアヒニ ケルヲ、父母イサムレトモ不聞入、相如カ貧家ニ行 テ世ヲワタル間、父文君カユクエヲシラサリケル ホトニ、相如遂ニ世ニ仕テ文園令トナリテイミシカ リケレハ、父娘ノ咎ヲユルシテケリ、是又スキノ道 ナレハ一筋ニ難定、惟高親王聴弾琴詩云/k20
相如昔挑文君得、 莫使簾中子細聴 或文云、妻ハ斉也、云心ハ上一人ヨリ下庶人ニ至マテ 夫ノ心ニヒトシキカ故也、其心若背時ハ家亡ト云リ、 然ハ妻夫ノ中ハアシキ事ヲハ共ニイサメ、吉事 ヲハタカヒニススメテ、此世ニハ家ヲ納ムル徳ヲ 不乱、後世ニハ道ヲススムル善知識ナルヘシ、/k21