今昔物語集
今昔、右近の馬場に、五月六日の弓行ひけるに、在原業平と云ふ人中将にて有ければ、大臣屋に着たりけるに、女車、大臣屋近く立て、物見る有り。風の少し吹けるに、下簾の吹上られたりけるにより、女の顔の悪1)からぬ見えたりければ、業平の中将、小舎人童を以て、此く云ひ遣たりけり。
みずもあらずみもせぬ人のこひしくはあやなくけふやながめくらさむ
と。
女の返し、
しるしらずなにかあやなくわきていはむおもひのみこそしるべなりけれ
となむ有ける。
亦、此の業平の中将、惟喬の親王2)と申ける人の山崎に居給へりける所に、中将、狩せむが為に行たりけるに、天の河原と云ふ所に下り居て、酒など飲けるに、親王、「天の河原と云ふ心を読て盞を差せ」と宣ければ、業平中将、此くなむ、
かりくらしたなばたつめにやどからむあまのかはらにわれはきにける
と。
御子の返し否(え)し給はざりければ、御共に有ける紀の有常と云ける人なむ、此くなむ、
ひととせにひとたびきますきみまてばやどかす人もあらじとぞおもふ
と。
其の後、御子返り給て、中将と終夜(よもすがら)酒飲み物語などし給けるに、二日の夜の月の隠れなむとしけるに、御子酔て入給ひなむと為れば、業平中将此くなむ、
あかなくにまだきも月のかくるるか山のはにげていれずもあらなむ
と聞へたりければ、御子寝給はで、曙(あか)し給てけり。中将、此様に参つつ遊びけるに、御子、思懸けず出家し給て、小野と云ふ所に御けるに、業平の中将、「見奉らむ」とて、二月許に参たるに、雪糸深く降て、徒然気なるを見て、中将此なむ、
わすれてはゆめかとぞおもふおもひきやゆきふみわけてきみをみむとは
と云てぞ、泣々く返りにける。
此の中将は平城天皇の皇子、阿保親王の子也ければ、品も糸止事無き人也。而るに、世を背て心を澄して、此様に行(あるき)て、和歌をぞ微妙く読けるとなむ語り伝へたるとや。