今昔物語集
今昔、河原院に宇多院1)住まで給けるに、失させ給ひければ、住む人も無くて、院の内荒たりけるを、紀貫之、土佐国より上て、行て見けるに、哀れ也ければ、読ける。
きみまさで煙たえにし塩がまのうらさびしくもみえわたるかな
と。此の院は、陸奥国の塩竈の様を造て、潮の水を湛(たた)へ汲み入れたりければ、此く読なるべし。
其後、此の院を寺に成してけり。然て安法君と云ふ僧ぞ住ける。其の僧、冬の夜、月の極く明かりけるに、此なむ読ける。
あまのはらそこさへさえやわたるらむこほりとみゆるふゆのよのつき
と。
西の台の西面に、昔の松の大なる有けり。其の間に、歌読共、安法君の房に来て歌を読けり。古曽部の入道能因、
としふればかはらに松はおひにけり子の日しつべきねやのうへかな
と。
□□□の善時、
さと人のくむだに今はなかるべしいたゐのしみづみぐさゐにけり
と。
源道済、
ゆくすゑのしるしばかりにのこるべき松さへいたくおいにけるかな
と。
其の後、此の院、弥よ荒れ増(まさり)て、其の松も一とせ風に倒れしかば、人々哀れになむ云ける。其の院、今は小宅共にて、堂許となむ語り伝へたるとや。