今昔物語集
今昔、誰とは聞き悪1)ければ書かず。或殿上人の家に、止事無き名僧、忍びて通ひけるを、男、然も知らで過ける程に、三月の廿日余りの程に、其の人内へ参にけり。
其の間に、名僧、其の家に入り居て、装束を脱て、したり顔に翔(ふるまひ)けるに、女房、其の脱たる装束を取て、男の装束共懸たる棹に交(まぜ)て懸てけり。
而る間、内より、男、人を遣(おこせ)て、「内より人々と共に出て遊に行く事なむ有るに、烏帽子と狩衣と取て遣せよ」と、云ひに遣せたりければ、女房、棹に懸たる□よか2)なる狩衣を取て、烏帽子に具して、袋に入れて遣てけり。
然て、既に其の遊ぶ所に、君達と共に行にけるに、其の所に、使、持行たれば、開て此れを見るに、烏帽子は有り、狩衣は無くて、椎鈍の衣を畳て遣せたり。「此は何かに」と奇異(あさま)しく思て、「思ふに、然にこそは有らめ」と心得つ。殿上人共、居並て遊びける所なれば、異君達も此れを見けり。
恥く奇異く思ひけれども甲斐無くて、衣を畳み乍ら袋に入て、「返し遣る」とて、此なむ此て遣ける。
こはいかにけふはうづきのひとひかはまだきもしつるころもがへかな
と書て遣て、やがて其のままに、家に行かずして、絶にけり。
早う女房の愚にて、「狩衣を取て、袋に入る」と思ひけるに、暗き程にて懸交ぜたりければ、騒ぎて取ける程に、同様に□よかなる僧の衣を、取り違へて入れてける也けり。妻、男の文を見て、何に奇異かりけむ。然れども、甲斐無くて止にけり。
隠すとすれども、此の事、世に聞えて、男をぞ、「心ばせ有り。極かりける人かな」と讃けるとなむ、語り伝へたるとや。