蒙求和歌
漂母進食 郭公
韓信は淮陰の人なり。若き時、家貧しかりけり。
下邳といふ所に行きて、魚(いを)を釣りけるに1)、漂母来て、韓信を敬ひあはれみて、おのが家に入れて休め慰む。
食進むること日重なりにけり。韓信、これが情けを思ひ知りて、「重く報いむ」と言ふに、漂母がいはく、「われ、王孫をあはれむゆゑに、君がことを、おろそかならざるなり。報いむことをば望まず」と答へけり。
後に、韓信、楚王として、下邳に都として、漂母を召して、百金を賜ひけり。
あはれとぞ思ひ知りぬるほととぎす語らひをきしいにしへの音(こゑ)
漂母進食 郭公 韓信ハ淮陰人也若時家マツシカリケリ下邳(ヒ)ト云所ニ 行テイヲヲツクリケルニ漂母来テ韓信ヲウヤマヒアハレミテ ヲノカ家ニ入テヤスメナクサム食ススムルコト日カサナリ/d1-17r
ニケリ韓信此カナサケヲ思シリテヲモクムクヰムト云ニ漂母カ 云ク我王孫ヲアハレム故ニ君カコトヲオロソカナラサルナリムク イムコトヲハノソマストコタヘケリ後ニ韓信楚王トシテ下邳(ヒ)ニ 都トシテ漂母ヲメシテ百金ヲ給ヒケリ アハレトソヲモヒシリヌルホトトキスカタライヲキシ古ヘノ音ヘ/d1-17l