蒙求和歌
広客蛇影
楽広が家に親客来たりて、酒をすすめて、帰りて後に、かき絶え来ざりけるを、「怪し」と思ひて、そのゆゑを問ふに、「君が家にて、酒を賜うべ時に、杯(さかづき)の底に蛇ありき。心にけやけく思ひながら、すでに飲み終りにき。それより病(やまひ)になれる」よしをなむ、答へけり。
楽広、酒飲みし所を見るに、河南の庁の壁の上に、角弓(つのゆみ)を張りて立てたり。弓に漆(うるし)して、蛇の形(かた)を描(か)けるあり。「杯の蛇はこの弓の影ぞ」と心得て、また酒をまうけて呼ぶに、客(かく)来たりぬ。
このことを悟りて、病、すなはち癒えにけり。
弓張の月にもいまぞしら雲のそらの心の闇は知りぬる
広客蛇影 楽広カ家ニ親(シム)客(カク)キタリテ酒ヲススメ/テカヘリテ後ニカキタヘコサリケルヲアヤ シトヲモヒテソノユヘヲトフニキミカ家ニテサケヲタウヘトキニ サカツキノソコニ蛇アリキココロニケヤケク思ナカラステニノミヲハリニキ ソレヨリヤマヒニナレルヨシヲナムコタヘケリ楽広サケノミシトコロヲ ミルニ河南ノ庁ノカヘノウヘニツノユミヲハリテタテタリユミニウルシシテ 蛇ノカタヲカケルアリサカツキノ蛇ハコノユミノカケソト心ロヘテ又サケ ヲマウケテヨフニカクキタリヌコノコトヲサトリテヤマヒスナハチイエニケリ/d2-35l
ユミハリノ月ニモいまそシラ雲ノ ソラノココロノヤミハシリヌル/d2-36r