醒睡笑 巻5 婲心
ことたらず世をわびて住む人の妻あり。天然(てんねん)と和歌に心そみ、立ち居にこのことのみなれば、夫(おつと)言ふ、「その風流は、かかる貧しき身にさらさら似合はず。二人がともにはしたなくてさへ、危ふかるべき渡世ぞかし。何として添ひは果てまじ。別に厭(あ)く色もなけれど、ただ歌を好けるに厭きたり。暇(いとま)をつかはす」といふ時1)、隣(となり)なる農人の、稲をになひながら立ち寄り、「亭主、さいな言はしましそ。うらがところの子持ちは、歌を詠まず、夜から夜まで働きぬれども、不便(ふべん)さはこれにまさりたる。何もみな前世の約束と見えてあり。女房衆、亭の言ふことに取り合はず、ただ詠みたくは歌読うで、そのひまひまに働き給へ」と言ふに、かの妻、夫(おつと)には取り合はず、隣の男に向かひて、
ほに出でていねとや人の思ふらんはかなのわれやあきを見ながら
一 事たらず世をわびてすむ人の妻あり天然(てんねん) と和哥に心そみたち居に此事のみなれは 夫(おつと)いふ其風流はかかるまづしき身にさらさら にあはずふたりがともにはしたなくてさへあや うかるへき渡世ぞかしなんとしてそひははて まし別にあくいろもなけれど唯哥をす/n5-18r
けるにあきたりいとまをつかはすといふは となりなる農人の稲をになひなから立より 亭主左右ないはしましそうらが処の子 もちは哥をもよます夜からよるまてはたら きぬれどもふべんさはこれにまさりたるなにも 皆前世のやくそくと見えてあり女房衆亭の いふことにとりあはすただよみたくは哥よふで その隙々にはたらきたまへといふに彼妻 夫(おつと)にはとりあはずとなりの男にむかひて/n5-18l
ほに出ていねとや人のおもふらん はかなのわれや秋をみなから/n5-19r