大和物語
右馬(むま)の允(ぜう)藤原の千兼(ちかぬ)といふ人の妻(め)に、とし子1)といふ人なんありける。
子どもなど、あまた出で来て、思ひて住みけるほどに、亡くなりにければ、かぎりなく、「悲し」とのみ思ひありくほどに、内の蔵人にてありける一条の君2)といひける人は、とし子をいとよく知れりける人なりけり。かくなりにけるほどにしも、問はざりければ、「あやし」と思ひありくほどに、この問はぬ人の従者(ずさ)の女なん会ひたりけるを見て、「かくなん、
思ひきや過ぎにし人の悲しきに君さへつらくならんものとは
と聞こえよ」と言ひければ、返し、
亡き人を君が聞かくにかけじとて泣く泣くしのぶほどな恨みそ
むまのせうふちはらのちかぬといふ人 のめにとしこといふ人なんありける こともなとあまたいてきておもひてすみける ほとになくなりにけれはかきりなく かなしとのみおもひありくほとにうちの 蔵人にてありける一条のきみといひ けるひとはとしこをいとよくしれりける ひとなりけりかくなりにける ほとにしもとはさりけれはあやしと/d11l
おもひありくほとにこのとはぬ人の すさの女なんあひたりけるをみて かくなん おもひきやすきにし人のかな しきにきみさへつらくならん物とは ときこえよといひけれはかへし なき人をきみかきかくにかけし とてなくなくしのふほとなうらみそ/d12r