text:sanboe:ka_sanboe0-00
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古(いにしへ)の人の云へることあり。「身を観ずれば岸の額に根を離れたる草。命を論ずれば江の辺(ほとり)に繋がざる船」と。また、「世の中を何に譬(たと)へむ朝まだき漕ぎ行く船の跡の白浪」と云へり。唐(もろこし)にもこの朝にも、物の心を知る人は、かくぞ云へる。いはんや、解(さと)り深く、慈(いつくし)び広くいます仏の御教(みのり)に、「世はみな堅く全からざること、水の沫(あは)・庭水(にはたづみ)・外景(かげろふ)の如し。汝等、ことごとく、正(まさ)に疾(と)く厭ひ離るる心を成すべしと宣(のたま)へり。仏は衆生の父にいます。子の | 古(いにしへ)の人の云へることあり。「身を観ずれば岸の額に根を離れたる草。命を論ずれば江の辺(ほとり)に繋がざる船」と。また、「世の中を何に譬(たと)へむ朝まだき漕ぎ行く船の跡の白浪」と云へり。唐(もろこし)にもこの朝にも、物の心を知る人は、かくぞ云へる。いはんや、解(さと)り深く、慈(いつくし)び広くいます仏の御教(みのり)に、「世はみな堅く全からざること、水の沫(あは)・庭水(にはたづみ)・外景(かげろふ)の如し。汝等、ことごとく、正(まさ)に疾(と)く厭ひ離るる心を成すべしと宣(のたま)へり。仏は衆生の父にいます。子の | ||
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時に永観二年(ふたとせ)中の冬なり。 | 時に永観二年(ふたとせ)中の冬なり。 | ||
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text/sanboe/ka_sanboe0-00.txt · 最終更新: 2024/05/23 22:56 by Satoshi Nakagawa