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宮内庁書陵部本『十訓抄』
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10の78 また賞あるべからんことあながちにとどめられても詮なかるべし・・・
text:jikkinsho:s_jikkinsho10-78
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宮内庁書陵部本『十訓抄』
十訓抄序
1の序 ある人いはく人の君となれるものは・・・
1の1 仁徳天皇は三年の間みつき物をとどめて・・・
1の2 天智天皇世につつみ給ふことありて・・・
1の3 崇徳院讃岐にうつろはせ給ひて後・・・
1の4 召伯が政のやはらかなりし州民甘棠の詠をなし・・・
1の5 わが朝には山陰中納言筑紫へ下り給ひける道に・・・
1の6 蜂といふ虫もまたかかる例あり・・・
1の7 後冷泉院御位の時天狗あれて世の中騒がしかりけるころ・・・
1の8 昔中天竺に仏滅後百歳ばかり過ぎて優婆崛多と申す・・・
1の9 人倫の事はうちまかせたる習にて・・・
1の10 おほかたは心操もおさまり才幹もありて・・・
1の11 人の有様をもこれらにて心得べし・・・
1の12 俊頼朝臣語りていはく白河院淀に御方違への行幸ありけるに・・・
1の13 近き御世に五節のころゆかりにふれて誰とかやの局に・・・
1の14 後堀河院御位の時七月二十日ごろにや花山院の誰とかや・・・
1の15 ある殿上人水無月二十日余りいと暗きに太后宮に参りて・・・
1の16 薩摩守忠度ある宮腹の女房にもの申さむとて・・・
1の17 太秦なる所にしかるべき女房の色好むありと聞きて・・・
1の18 後徳大寺左大臣小侍従と聞こえし歌詠みに通ひ給ひけり・・・
1の19 武正といふ舎人のかなしくしける子のわづらふことありて・・・
1の20 一条院御位の時実方中将臨時の祭の試楽に遅く参りて・・・
1の21 同じ院雪いとおもしろく降りたりける冬の朝・・・
1の22 野宮歌合判者は源順なりけり女房をあまた勝たせ給ひければ・・・
1の23 上東門院の御方に琴弾く人の今参りしたりけり・・・
1の24 京極大殿の御時白河院宇治に御幸ありけり・・・
1の25 妙音院入道太政大臣土佐より帰洛の時按察使資賢卿参りて・・・
1の26 成範卿事ありて召し返されて内裏に参りたりけるに・・・
1の27 小松内府賀茂祭見むとて車四五両ばかりにて一条大路に・・・
1の28 昔西八条の舎人なりける翁賀茂祭の日・・・
1の29 すべて人の振舞ひはおもらかに言葉少なにて人をも馴らさず・・・
1の30 大中臣能宣父頼基に語りていはく・・・
1の31 後一条院の御時清暑堂の御神楽に公任卿拍子取るべきにて・・・
1の32 御堂入道東三条の御所を造り給ふ時・・・
1の33 宇治殿少年の時俊賢卿と花盛りに北山辺に遊覧し給ひけるに・・・
1の34 義家朝臣陸奥前司のころ常に堀河右府の御もとに参りて・・・
1の35 平等院僧正行尊は出世の貴きのみにあらず・・・
1の36 近ごろの歌仙には、民部卿定家宮内卿家隆とて・・・
1の37 御堂入道殿若くおはしける時帥内大臣の御車に乗り具して・・・
1の38 堀河院の御時勘解由次官明宗とていみじき笛吹きありけり・・・
1の39 楊梅大納言顕雅卿は若くよりいみじく言失をぞし給ひける・・・
1の40 高陽院の正親町殿の東向きの御車寄せに大きなる椿桃の木あり・・・
1の41 肥後守盛重は周防国の百姓の子なり・・・
1の42 大二条殿大将にておはしける時内へ参らせ給ひたりけるを・・・
1の43 土佐判官代道清といふ者ありけり・・・
1の44 史大夫朝親といふ者ありけり・・・
1の45 藤原惟規は世の数奇者なり・・・
1の46 源経兼下野守にて在国の時ある者便書を持て雑事など乞ふに・・・
1の47 詩歌などにつけても必ず禁忌の詞を除きて・・・
1の48 また詩歌につけて異名など付けらるることあり・・・
1の49 落度もさることにてさし過ぎたる振舞ひ目に立ちて悪しきことなり・・・
1の50 近江守藤原知章朝臣は宇治殿の家司なりけり・・・
1の51 師頼多年沈淪して籠居せられたりけるが中納言に拝任ののち・・・
1の52 大相国宰相にておはしける時歌合せられけるに・・・
1の53 江匡房記いはく和歌の道にとりて往年六人の党あり・・・
1の54 伊勢物語にいはく右近馬場のひをりの日・・・
1の55 法性寺殿皇嘉門院を具し参らせ給ひて・・・
1の56 同院年経世変りてのち秋の夕暮に階近く出でさせ給ひて・・・
1の57 われその能ありと思へども・・・
2の序 ある人いはく人世にあるみな驕慢を先として・・・
2の1 列子伝といふ文にいはく・・・
2の2 おほかた世にある道のわづらはしく振舞ひにくきこと・・・
2の3 昔人の心の曲れるを恨みてつひに滄浪の水に沈み・・・
2の4 小野小町が少くて色を好みし時もてなされしありさま・・・
2の5 文集一巻の凶宅の詩には驕りは物の満てるなり・・・
3の序 ある人いはく人をあなづることは色は変れども・・・
3の1 和泉式部保昌が妻にて丹後に下りけるほどに・・・
3の2 匡房卿若かりける時蔵人にて内裏によろぼひ歩きけるを・・・
3の3 二条よりは南京極よりは東は菅三位の亭なり・・・
3の4 伏見修理大夫俊綱の家にて人々水上月といふことを詠みて講じけり・・・
3の5 ある所に女房あまた居て箏弾くに琴柱の走りて失せたるを・・・
3の6 なま宮仕へする女房の清水に籠りたる局の前に・・・
3の7 大原聖たち四五人ばかりつれて高野へ参りけるに・・・
3の8 近ごろ最勝光院に梅盛りなる春ゆゑづきたる女房一人・・・
3の9 権漏刻博士季親といふ者ありけり・・・
3の10 鳥羽院の御代相撲節の後帥中納言長実卿のもとへ・・・
3の11 丹後守保昌任国に下向の時与謝の山にて白髪の武士・・・
3の12 昔漢の高祖と楚の項羽と秦の世を争ひし時・・・
3の13 村上天皇ひそかにいやしき官人の年老いたるを召して・・・
3の14 御堂関白ものへおはしけるに道に荷負馬の先に立ちたる小童の・・・
3の15 書写の性空聖人生身の普賢を見奉るべきよし・・・
3の16 行基菩薩は和泉国大鳥の郷に生まれ弘法大師は讃岐国多度郡より出で給へり・・・
4の序 ある人いはく人は慮りなく言ふまじきことを口疾く言ひ出だし・・・
4の1 行基菩薩菅原寺の東南院にして終りをとり給ひける時・・・
4の2 粟田讃岐守兼房といふ人ありけり。年ごろ和歌を好みけれど・・・
4の3 堀河院の御時中宮の御方に半物に砂金といひて・・・
4の4 右中弁惟家といふ人ありけり賀茂社より申すこと事ありけるを・・・
4の5 文範民部卿余慶僧正を貴き僧とて人の妻をするよと・・・
4の6 中納言通俊の子に世尊寺阿闍梨仁俊とて顕密知法にて・・・
4の7 雅縁阿闍梨と聞こえし人何の意趣かありけん慈恵僧正を・・・
4の8 九条殿右大将にておはしけるころ、讃岐三位の聟にとり奉りて・・・
4の9 二条院御遊びありけるに呂をかりて律に移りけるとき・・・
4の10 後江相公登省の時詩に両音を平声に用ゐたりけるを・・・
4の11 天暦の御時月次の屏風歌に擣衣の所に兼盛詠じていはく・・・
4の12 左京大夫顕季新院に参りたりけるに百首詠むやうは習ひたるかと・・・
4の13 良暹が歌にまくり手といふことを詠めりけるに・・・
4の14 花園大臣の御もとにはじめて参りたる侍の名簿の端書に・・・
4の15 寛平歌合に初雁を友則・・・
4の16 昔橘広相とて名誉の博士ありけり・・・
4の17 公任卿の家にて三月尽の夜人々集めて・・・
4の18 一条天皇の御時四納言と聞こえし人々寄合て蹴鞠会ありけるに・・・
4の19 孔子路を過ぎ給ひけるに老翁一人会ひたり・・・
5の序 ある人いはく人は善友に会はむことをこひ願ふべきなり・・・
5の1 河原左大臣の亡霊延長八年のころ寛平法皇の宮人に託し・・・
5の2 村上帝かくれさせ給ひて後枇杷大納言延光卿朝夕恋ひ忍び奉りて・・・
5の3 後三条院東宮にておはしましける時学士実政朝臣任国に赴きけるに・・・
5の4 楞厳院の恵心僧都と園城寺慶祚阿闍梨・・・
5の5 興福寺の智光頼光は一双の貴き人にて・・・
5の6 中山の大臣と聞こえし人宰相成頼と契りて常に出仕の友なりけるが・・・
5の7 伯牙鍾子期とは琴の友なり鍾子先立ちて失せにければ・・・
5の8 すべて妻を定むること、法令の教へあり・・・
5の9 大和物語には昔大納言なりける人の御門に奉らんとて・・・
5の10 寛和の斎宮野宮におはしけるに公役滝口平致光とかや・・・
5の11 三条院皇女前斎宮も道雅三位にあひ給ひて・・・
5の12 また数寄者なればとて一筋に愛で近付くべきにあらず・・・
5の13 唐国の斉の閔王の后は宿瘤といひて賤民の娘なり・・・
5の14 卓王孫が娘に卓文君と聞し人家富みければ・・・
5の15 唐土に陶の答子といふ者ありけり・・・
5の16 清和帝隠れさせ給ひて東宮の御息所恋ひ悲しみ給ふことかぎりなし・・・
5の17 醍醐の御門隠れさせ給ひてほど経てのち御嶽の日蔵上人・・・
5の18 安康天皇は御弟の大草香の皇子の家室容姿すぐれ給へるよし聞き給ひて・・・
6の序 ある人いはく孔子のたまへることあり・・・
6の1 楚の襄王晋の国を討たんとす孫叔敖これをいさめ申していはく・・・
6の2 晋の文公の父献公の怒れるに恐れて他国へ移り給ひけるに・・・
6の3 漢の馮昭儀は元帝の御時の官女なり・・・
6の4 履中天皇いまだ太子の御時御弟の住吉仲皇子のために・・・
6の5 白壁皇子孫王の号はおはしませども員(かず)の外にて・・・
6の6 垂仁天皇の御時但馬毛理といふ人常世の国へ遣はしたりけるが・・・
6の7 延喜の御代に貫之以下四人の歌仙に仰せて古今集を撰じて後・・・
6の8 良岑宗貞は深草天皇の近臣なり・・・
6の9 橘良利は寛平法皇の世を遁れさせ給ふ時・・・
6の10 花山院の御時中納言義懐は外戚権左中弁惟成は近臣にて・・・
6の11 中納言顕基卿は後一条院ときめかし給ひて・・・
6の12 後朱雀天皇御悩大事にならせおはしまして位を東宮に譲り奉り・・・
6の13 藤原相如は粟田殿はかなくなり給ひにけるを歎きて・・・
6の14 菅家昌泰三年九月十日の宴に正三位の右大臣の大将にて・・・
6の15 応神天皇八年(丁酉)夏四月に百姓の消息を・・・
6の16 清和天皇いまだ幼くおはしましける時大納言伴善男卿・・・
6の17 後冷泉院の御時陸奥守源頼義鎮守府の将軍を兼ねて貞任宗任を・・・
6の18 忠孝一つのことなれば孝子の振舞ひこのうちに侍るべし・・・
6の19 白河院の御時天下に殺生を禁制せられたりければ・・・
6の20 武則公相といふ随身父子ありけり・・・
6の21 また夫婦の仲をば忠臣の道に喩へたり・・・
6の22 昔夫婦あひ思ひて住みけり夫と軍にしたがひて遠く行くに・・・
6の23 すべて凡夫はさることにて仏神によく信をいたし奉るべし・・・
6の24 およそ攘災はかりごと信力には過ぐべからず・・・
6の25 小野皇后宮二条東洞院の御所にて最勝王経を・・・
6の26 土佐国胤間寺といふ山寺あり・・・
6の27 右兵衛督敏行不浄にて人のあつらへける経をあまた書きけるを・・・
6の28 粟田左大臣在衡は才学あながちに人にすぐれたることはなけれども・・・
6の29 廉直といふは言ひつることをさなきよしにあらがひせず・・・
6の30 昔季札呉王の使ひとしてものへ行きける道に・・・
6の31 また憂悦ともに深くせざるためし一証これあり・・・
6の32 ある文にいはく趙柔といふ人路にあふて人の残せるところの金珠・・・
6の33 大納言俊明卿丈六の仏を作らるる由聞きて奥州の清衡・・・
6の34 小野右大臣とて世には賢人右府と申す・・・
6の35 絵仏師良秀といふ僧ありけり家隣より火出で来ぬ・・・
6の36 横川の恵心僧都の妹安養の尼上のもとに強盗入りて・・・
6の37 恵心僧都金峰山に正しき巫女ありと聞き給ひて・・・
6の38 光明山といふ山寺に老尼ありけり・・・
7の序 ある人いはく人は高き賤しきをいはずものの心つかば・・・
7の1 河内国金剛寺とかやいふ山寺に侍りける僧の・・・
7の2 延喜年中ごろ美濃国伊吹の山に千手陀羅尼の持者住みけり。・・・
7の3 白河院は花盛り雪の朝必ず御覧じてもてなさせおはしましけり・・・
7の4 六条前斎院ときこへさせ給ける宮の御所に・・・
7の5 敏達天皇の御時高麗の表を烏の羽に書きて奉りける・・・
7の6 嵯峨帝の御時無悪善と書きける落書ありけり・・・
7の7 魯の仲尼門徒を具して路におはしけるに・・・
7の8 成明親王の位につかせ給ひたりけるに女御あまた候はせ給ひける中に・・・
7の9 四条大納言寛弘二年のころ月ごろ恨みありて出仕もし給はず・・・
7の10 禅林寺深覚僧正宇治殿へ消息を奉りて法蔵の破れて侍るに・・・
7の11 南都林懐僧都京へのぼられける時木津の人の家にして鮮魚を求めて食す・・・
7の12 先に申したる賢人の大臣他事の賢には似ず女事にしのび給はざりけり・・・
7の13 大伴黒主は形よく心優にて女見て心を動かす・・・
7の14 皇嘉門院はじめて院号かぶらせ給へりけるころ・・・
7の15 鳥羽院の御時雨いと降りける夜若殿上人あまた集りて・・・
7の16 信濃国はきはめて風はやきところなり・・・
7の17 堀河院の御時おととひにて家綱行綱といふ陪従ありけり・・・
7の18 都良香策対の時問頭博士は春澄善綱なり・・・
7の19 あるところに当座の和歌会しけるに落葉を詠みけり・・・
7の20 斉名以言を試みられける時秋未出詩境といふことを作らるるに・・・
7の21 御堂入道殿法成寺を作らせ給ふ時毎日渡らせ給ふ・・・
7の22 隆禅律師按察大納言隆季の法事の導師にて坊に帰りたる夜部・・・
7の23 摂津国児屋寺といふ所に七十ばかりなる法師の一人出で来て・・・
7の24 中ごろよろしき人の子にて禅師の君ありけり・・・
7の25 成方といふ笛吹きありけり御堂入道殿より大丸といふ笛を・・・
7の26 漢の高祖の臣張子房黄石公が兵書伝へて・・・
7の27 近ごろ、唐に徽宗と申す帝おはしけり。・・・
7の28 また、賢人のもとにも不覚なる者もありけり・・・
7の29 二条三位経盛の家に梅花めでたく咲きたりけるころ源三位頼政・・・
7の30 七条の南室町の東一町は祭主三位輔親が家なり・・・
7の31 白河院鳥羽におはしましける時北面の者どもに・・・
7の32 大宰大弐高遠のものへおはしける道に・・・
8の序 ある人いはくよろづのことを思ひ忍ばんはすぐれたる徳なるべし・・・
8の1 大納言行成卿いまだ殿上人にておはしける時実方中将・・・
8の2 三条内大臣御もとに客人まうで来たりけるに・・・
8の3 高陽院の姫君と申すは鳥羽院の御娘美福門院の御腹なり・・・
8の4 西行法師男なりける時かなしくしける女の三四ばかりなりけるが・・・
8の5 斎宮の女御長岡といふところに住み給ひて・・・
8の6 亭子院に御息所あまた御曹司して住み給ふに・・・
8の7 大和国に男ありけりもとの妻と壁を隔ててめづらしき女を迎へて・・・
8の8 業平中将の、高安へ通ひけるころ・・・
8の9 朱買臣文の道は富めりしかども家貧しかりけり・・・
8の10 呂尚父が妻同じく家を住みわびて離れにけり・・・
9の序 ある人いはく、人は心にあはぬことあればとて・・・
9の1 仁和寺の大御室の御時成就院僧正のいまだ阿闍梨と申しけるころ・・・
9の2 六条修理大夫顕季卿東の方に知行の所ありけり・・・
9の3 一条摂政納言に任じ給ふ時朝成同じく望み申しけり・・・
9の4 斉信民部卿の宰相の時才幹すすめるによりて兄の誠信の君を・・・
9の5 後江相公の澄明におくれて後世をとぶらはれける願文に・・・
9の6 橘正通が身の沈めることを恨みて異国へ思ひ立ちける折節・・・
9の7 近ごろ鴨社の氏人に菊大夫長明といふ者ありけり・・・
9の8 伊通公の参議の時大治五年十月五日の除目に参議四人・・・
10の序 ある人いはくもとよりその道々の家に生れぬるはさることなり・・・
10の1 中納言右衛門督伊陟卿は二品中務卿兼明親王の御子なり・・・
10の2 菅輔昭宇多院の蔵人に補して試のために、・・・
10の3 御堂関白大堰川にて遊覧の時詩歌の舟を分かちて・・・
10の4 帥民部卿経信卿またこの人におとらざりけり・・・
10の5 後三条院住吉社に御幸ありける時経信卿序代を奉られけり・・・
10の6 都良香竹生島に参たりけるに眺望心にすみて・・・
10の7 世の中に世心地おこりてのがるる人少なかりけるころ菅三位・・・
10の8 江都督安楽寺にて曲水の宴行はれけるに自序を書く・・・
10の9 近くは建保のころ菅長貞宇佐の勅使として・・・
10の10 能因入道伊予守実綱にともなひてかの国に下りたりけるに・・・
10の11 待賢門院女房加賀といふ歌詠みありけり・・・
10の12 中ごろなまめきたる女房世の中たえだえしかりけるが・・・
10の13 和泉式部が男のかれがれなりけるころ貴船に詣でたりけるに・・・
10の14 同じき式部が女小式部内侍この世ならずわづらひけり・・・
10の15 江挙周和泉の任去りてのち病重かりけり・・・
10の16 鳥羽法皇の女房小大進といふ歌詠みありけるが・・・
10の17 成通卿郢曲にすぐれ給へりけり・・・
10の18 浄御原天皇吉野川のほとりに御幸して琴を弾き給ふ時・・・
10の19 村上帝月明き夜清涼殿の上の御座にて・・・
10の20 博雅三位月の明かりける夜直衣にて朱雀門の前に遊びて・・・
10の21 八幡の楽人元正当宮領備中国吉河保下向して・・・
10の22 備中守政長が神拝に下りける時則高正資時資などいふ・・・
10の23 妙音院大臣殿尾張国におはしましける時夜々熱田宮に・・・
10の24 建仁のころ天王寺に人々参りたりける時御舎利の出でさせ給はぬ・・・
10の25 南都に舞の師字和博士晴遠といふ者ありけり・・・
10の26 伶人助元府役懈怠のことによりて左近府の下倉に召し籠めらる・・・
10の27 和邇部の用光といふ楽人ありけり・・・
10の28 天暦の御時延光卿蔵人頭にて御おぼえことにおはしけり・・・
10の29 同じき御宇橘直幹か民部大輔を望み申しける申文をば・・・
10の30 東三条関白前太政大臣九月十三夜の月にさそはれて・・・
10の31 一条院の御時越前国あきたりけるを源国守藤原為時ともに望み申しけるに・・・
10の32 後三条天皇の御宇ある武士伊勢斎宮寮の中にて狐を射たるによりて・・・
10の33 法性寺関白の御時東北院の領池田の荘の解を・・・
10の34 頼政三位は多田満仲が末にて武芸その氏を継げりといへども・・・
10の35 別当入道惟方卿は二条院の御乳母子にて・・・
10の36 後鳥羽院の御時定家卿殿上人にておはしける時・・・
10の37 大斎院と申す宮の御所の内に女房に物申さんとて蔵人惟規・・・
10の38 白楽天ある年春暮烟霞の興にひかれてあくがれ出でたりけるに・・・
10の39 桜島忠信が大隅守にて下りけるに郡の司に頭の白き翁ありけるを・・・
10の40 後撰集にいはく桂の御子の蛍をとらへてと言ひければ・・・
10の41 伊勢物語には二条后につかふまつる男同じく女の候ふを・・・
10の42 河内重如をば山次郎判官と号す其の品いやしきものなり・・・
10の43 和泉式部忍びて稲荷へ詣でけり・・・
10の44 小野篁三守の大臣にその娘を望みける文を持て・・・
10の45 宇治入道殿に候ひけるうれしさこそといふはした者を顕輔卿・・・
10の46 宗家大納言とて神楽催馬楽歌ひてやさしく神さびたる人おはしき・・・
10の47 近くは徳大寺の右の大臣うちまかせてはいひ出でがたき女房のもとへ・・・
10の48 三河守定基志深かりける女のはかなくなりにければ・・・
10の49 無縁なる法師の人のもとにて物乞ひけるに・・・
10の50 さてもとよりさるべききははことわりなり・・・
10の51 神崎の君とねぐろ男にともなひて筑紫へ行きけるが海賊にあひて・・・
10の52 菅三位の終焉のきざみ近づきけるに・・・
10の53 近くは壬生の二位家隆卿八十にて天王寺にて終り給ひける時・・・
10の54 またもとより猛き人の家に生れぬる養由が芸を継ぎ・・・
10の55 鎌倉右大将父子ともに代々撰集に入り給ひけるこそことにやさしけれ・・・
10の56 高倉院の御時御殿の上に鵺の鳴きけるを・・・
10の57 僧徒の勤めには八宗の修学一陀羅尼行者法華持者らなり・・・
10の58 白河院御位の時野の行幸といふことありて・・・
10の59 堀河院の御時同じく行幸あるべき由白河院に申させ給ひければ・・・
10の60 基綱卿年たけてのち帥になりて下されける時白河院・・・
10の61 十月ばかり月明かりける夜経信卿をむねとして・・・
10の62 天治二年八月十日あまりのころ伏見斎宮野宮におはしましけるに・・・
10の63 唐国に衛の霊公といふ人晋の国へ行く道に・・・
10の64 唐の玄宗の帝年ごろ月を愛する志深くして・・・
10の65 同じ帝月の夜笛吹き給ひけるにその声竜の鳴くにたがはず・・・
10の66 孟嘗君が楽しみに飽き満ちてもののあはれを知らざりけり・・・
10の67 秦の穆公の女弄玉はたぐひなく簫を愛し周の霊王の太子王喬は・・・
10の68 行成道風が跡を継ぎてめでたき能書なりけり・・・
10の69 成通卿年ごろ鞠を好み給ひけり・・・
10の70 大宰大弐資通は琵琶に名を得たりけるうへ・・・
10の71 鳥羽院の御時十楽講のついでに御遊ありけり・・・
10の72 顕基卿世をのがれて上醍醐に籠り居られたりけるに・・・
10の73 醍醐の桜会に童舞おもしろき年ありけり・・・
10の74 小一条左大将済時卿の六代にあたりて宗綱宮内卿師綱といふ人・・・
10の75 朝成卿検非違使別当の時中納言を所望のあひだ・・・
10の76 後冷泉院の御時源中納言経衡卿検非違使別当にて・・・
10の77 白河院の御時九重塔の金物を牛の皮にて作れりといふこと・・・
10の78 また賞あるべからんことあながちにとどめられても詮なかるべし・・・
10の79 勘解由相公有国卿若かりけるころ父豊前守に具して・・・
跋
奥書
jojin
k_konjaku
kankyo
kara
karakagami
kohon
mogyuwaka
mumyosho
sanboe
senjusho
sesuisho
shaseki
takafusa
takamura
tosanikki
towazu
turezure
uchigiki
yamato
yomeiuji
yotsugi
大福光寺本『方丈記』:鴨長明
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· 最終更新: 2016/04/26 22:55 by
Satoshi Nakagawa
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