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text:sanboe:ka_sanboe1-00

三宝絵詞

上巻 序

校訂本文

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わが釈迦大師、凡夫(ぼんぶ)にいませし時に、三大阿僧祇(さんだいあそうぎ)の間に、衆生 の為に心を発(おこ)し、三千大千界の中に芥子(けし)ばかりも身を捨て給はぬ所なし。まさに今、王宮の内に生まれて、五欲を厭ひて、父を別れ、道樹の下(もと)に往(ゆ)きて、四魔(しま)を随(したが)へて仏に成り給へり。

三学(さんがく)・四弁(しべん)・五眼(ごげん)・六通(ろくつう)内に備へ、三十二相、八十種好(はちじつしゆかう)、外に明らかなり。頂(いただき)は高きこと天蓋(てんがい)の如く、面(おもて)は円(まど)かなること満月に同じ。頭(かうべ)の上(うへ)の螺髻(らけい)は青き糸を巻くかと疑ひ、眉の間の毫相(がうさう)は白き玉を瑩(みが)けるに似たり。眉は細き月を並べ、歯は白き雪を含み、眼(まなこ)は青き蓮に喩へ、脣(くちびる)は赤き菓子(このみ)に等し。紫磨金(しまごん)の膚(はだへ)は耀(かかや)きて塵(ちり)なし。千輻輪(せんぷくりん)の趺(あなうら)は歩むに土を離れ給へり。

かくのごとき諸(もろもろ)の相は、皆先の世の若干(そこばく)の行ひの力、諸の波羅蜜(はらみつ)の成せる所なり。梵王の天眼(てんげん)も、その頂を見ず。目連(もくれん)の神通も、そのの音を窮(きは)めず。

1)にのたまはく、「方等経(はうどうきやう)を謗(そし)り、僧祇(そうぎ)の物を盗み、五逆の罪を作り、四重の過(とが)を犯せらむ者も、もしよく心を懸けて、一日一夜も仏の一つの相好(さうがう)を念(おも)はば、諸(もろもろ)の罪滅び2)尽きて、まさに必ず仏を見奉るべし」とのたまへり。

また、神通の力いまして、妙(たへ)に3)衆生の心を随へ給ふ。火を変じて池と成ししかば、勝蜜(しようみつ)が門(かど)空(むな)しく過ぎ、水を踏むこと土の如くせしかば、迦葉(かせふ)が船、徒(いたづら)に去りにき。

また、慈悲の心いまして、よく衆生の苦しびを救ひ給ふ。外道の殺せる虫も、如来の跡に置きしかば、すなはち生きにき。身子(しんし)が助けし鴿(はと)も、世尊の御許(おんもと)に隠れしかば、恐りなかりき。すべて三界(さんがい)の憑(たの)む所、四生(ししやう)の仰ぐ所なり。

それ仏は色を以ても見るべからず。音を以も求むべからねども、縁を待ちて形を顕(あらは)し給ふこと、空の月の水に浮かぶが如し。願に随ひて音(こゑ)を聞かせ給ふこと、天の鼓(つづみ)の念(おも)ひにかなふが如し。身は虚(むな)しき空(そら)に満ち給へれども、権(かり)に丈六を示し、命は極(きは)限かぎりもなけれども、偽りに八十に畢(おは)れり。大地を摧(くだ)きて塵をば数ふとも、仏の寿(いのち)の数をば知がたし。大海を酌みて水をば尽くすとも、仏の解(さと)りの深さをば量がたし。

涅槃よりこのかたも、奇(あや)しく妙なること多かり。石屋(いはや)の中に景(かげ)を留め 給へるは、毒竜まばて常に忍び、石の上(うへ)に跡を遺し給へるは、悪王削(けづ)れども失せず。

まさに知るべし、仏は暫く人の眼(まなこ)を隔て給へるなり。永く隠れ給ひにきと云ふべからず。仏は常にわが心にいます。遥(はるか)に去り給へりと思ふべからず。いはんや、忉利天(たうりてん)に上り給へりける時より作り、伝へたる御形(おほんかたち)を見奉り、沙羅林4)(しゃらのはやし)に赴き給ひにし後より、遺(のこ)し置き給へる舎利(しやり)を拝み奉り、乱れたる心に一つの花を捧げ、戯の態(わざ)に5)十の指を叉(あざな)ふ6)

暫(しばらく)も心を致し、一度(ひとたび)も名を唱ふるに、罪を滅ぼす願ひを満て7)給ふこと、いましし時に異ならぬをや。天上天下に仏の如くはなし。十方世界にもまた比(たぐひ)なし。われ、今、掌(たなごころ)を合はせて、仏の勝(すぐ)れ給へることを顕(あら)はす。

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翻刻

三宝絵上  仏宝    源為憲
我カ尺迦大師凡夫ニ伊坐セシ時ニ三大阿僧祇ノ間ニ衆生
ノ為ニ心ヲ発シ三千大千界ノ中ニ芥子許モ身ヲ捨テ給ハヌ
所无シ方ニ今マ王宮ノ内ニ生レテ五欲ヲ厭ヒテ父ヲ別カレ
道樹ノ下トニ往テ四魔ヲ随ヘテ仏ニ成リ給ヘリ三学四弁五眼
六通内ニ備ヘ卅二相八十種好外ニ明ナリ頂ハ高コト天蓋ノ
如ク面ハ円ナルコト満月ニ同シ頭ノ上ヘノ螺髻ハ青キ糸ヲ巻カト疑ヒ/n1-8l・e1-6l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1145957/1/8

眉ノ間ノ毫相ハ白キ玉ヲ瑩ケルニ似タリ眉ハ細キ月ヲ並ヘ歯ハ
白キ雪ヲ含ミ眼ハ青キ蓮ニ喩ヘ脣ハ赤キ菓ミニ等(ヒト)シ紫磨
金ノ膚ヘハ耀テ塵リ无シ千輻輪ノ趺ラハ歩ムニ土ヲ離レ給ヘリ
如此キ諸ノ相ハ皆先ノ世ノ若干ノ行ヒノ力ラ諸ノ波羅蜜ノ成セル
所ナリ梵王ノ天眼モ其頂ヲ不見ス目連ノ神通モ其ノ音ヲ不窮
メス経ニ言タマハク方等経ヲ謗リ僧祇ノ物ヲ盗ミ五逆ノ罪ヲ作リ
四重ノ過カヲ犯セラム者ノモ若シ能ク心ヲ懸テ一日一夜モ仏ノ一ツノ
相好ヲ念ハハ諸ノ罪滅□尽キテ当ニ必仏ヲ見奉ル可シト/n1-9r・e1-7r
宣給ヘリ又神通ノ力伊坐シテ妙ヘ□衆生ノ心ヲ随ヘ給フ火ヲ変
シテ池ト成シシカハ勝蜜カ門空ク過キ水ヲ踏ムコト土如クセシカハ迦葉
カ船徒ニ去リニキ又慈悲ノ心伊坐シテ能ク衆生ノ苦ヒヲ救ヒ給フ
外道ノ殺セル虫モ如来ノ跡ニ置シカハ即チ生キニキ身子カ助シ鴿モ
世尊ノ御許ニ隠レシカハ恐リ无カリキ惣テ三界ノ憑ム所四生ノ仰ク所ナリ
其レ仏ハ色ヲ以テモ不可見ス音ヲ以モ不可求トモ縁ヲ待テ形ヲ顕シ
給フ事空ラノ月ノ水ニ浮カ如シ願ニ随ヒテ音ヲ聞カセ給フ事天ノ
鼓ノ念ヒニ叶カ如シ身ハ虚(ムナ)キ空ラニ満チ給ヘレトモ権(カ)リニ丈六ヲ示シ/n1-9l・e1-7l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1145957/1/9

命ハ極(キ)ハ限(カキリ)モ无レトモ偽リニ八十ニ畢レリ大地ヲ摧(クタ)キテ塵ヲハ数フトモ
仏ノ寿ノ数ヲハ難知シ大海ヲ酌テ水ヲバ尽トモ仏ノ解リノ深サヲハ難
量シ涅槃ヨリ以来タモ奇ク妙ナル事多カリ石屋ノ中ニ景ヲ留メ
給ヘルハ毒龍末者テ常ニ忍ヒ石ノ上ヘニ跡ヲ遺シ給ヘルハ悪王削
ツレトモ不失ス当ニ知ヘシ仏ハ暫ク人ノ眼ヲ隔テ給ヘル也永ク隠レ給
ヒニキト不可云ス仏ハ常ニ我カ心ニ伊坐ス遥ニ去リ給ヘリト不可思ス
況ヤ忉利天ニ上リ給ヘリケル時ヨリ作リ伝タル御ム形ヲ見奉リ娑羅
林ニ赴キ給ニシ後ヨリ遺シ置キ給ヘル舎利ヲ拝ミ奉リ乱タル/n1-10r・e1-8r
心ニ一ツノ花ヲ捧ケ戯ノ態□十ノ指ヲ叉□暫モ心ヲ致シ一ト度ヒモ
名ヲ唱ルニ罪ヲ滅ス願ヒヲ□テ給フ事伊坐シシ時ニ不異ヌヲヤ天上
天下ニ仏ノ如クハ无シ十方世界ニモ又比ヒ无シ我今掌ヲ合テ仏
ノ勝レ給ヘル事ヲ顕ス/n1-10l・e1-8l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1145957/1/10

1)
『観仏三昧海経』本行品
2)
「滅び」は底本「び」欠損。文脈により補う。
3)
「妙(たへ)に」は底本「に」欠損。諸本により補う。
4)
底本表記「娑羅林」
5)
「態(わざ)に」は底本「に」を欠損。諸本により補う。
6)
「叉(あざな)ふ」は底本「ふ」を欠損。諸本により補う。
7)
「満て」は底本「満」欠損。諸本により補う。
text/sanboe/ka_sanboe1-00.txt · 最終更新: 2024/05/25 11:45 by Satoshi Nakagawa